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東京メトロ 銀座線 浅草駅
銀座線 浅草駅〜浅草寺(大黒天)〜浅草神社(恵比寿)〜橋場通り〜待乳山聖天(毘沙門天)〜今戸神社(福禄寿)〜橋場通り〜橋場不動尊(布袋尊)〜石浜神社(寿老人)〜明治通り〜玉姫稲荷神社〜日の出会商店街〜吉原 仲之町通り〜吉原神社(弁財天)〜鷲神社(寿老人)〜かっぱ橋道具街通り〜矢先稲荷神社(福禄寿)〜銀座線 田原町駅
【撮影記録】
令和2年 1月 4日 晴れたり曇ったり
11:10〜15:30(昼食20分) 12,500歩(概算 8.8km 地図上の距離 7.8km)
正月の浅草はいつ来たか思い出せないほどで、七福神巡りといったイベントがなければ大混雑必至の浅草には来ない。今戸神社、鷲神社など馴染みの場所はともかく、橋場通りを北上して白鬚橋に向かうのも初めてだし、治安の心配がある玉姫稲荷神社を通るのも珍しい経験だった。矢先稲荷神社は場所が分かり難いが意外に大きな神社だった。 |
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新仲通り入口交差点で浅草松屋から馬道通りを渡る |
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新仲通り入口交差点で浅草松屋から馬道通りを渡る |
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新仲通りを西進 |
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新仲通りを西進 大混雑のかんのん通り
新仲通りを西進中に名物の「やげん堀の七味」を買いに右折してかんのん通りに寄った。いつもはさして混んでいないのに大混雑である。さすがに正月と思った。 |
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かんのん通り 大行列の先に開店前のタピオカドリンク店
左の赤いビルは「やげん堀の七味」店であるが、隣の路地に異様に長い若い女性の列ができている。不思議に思って覗いたら、奥に開店前のタピオカドリンク店があった。以前はなかったが、他にも数店がかんのん通りにできていて列ができていた。 |
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新仲通り 芋ようかんの舟和前で右折、仲見世通りを北上
さすがは正月で、仲見世通りの人混みのため右折するのも大変で、土産に予定していた舟和に近寄ることができなかった。 |
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寸刻みでノロノロと仲見世通りを北上
正月らしい飾り付けがされている仲見世通りを北上するが、寸刻みのノロノロ歩きである。これほどの混雑はかなり昔に来た三社祭以来で、ほおずき市や羽子板市の比ではない。
いつもは多い中国人も少なく感じられ、意外と欧米人が多く、和装の女性も日本語である。 |
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寸刻みでノロノロと仲見世通りを北上 |
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寸刻みでノロノロと仲見世通りを北上 |
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寸刻みでノロノロと仲見世通りを北上 伝法院通 |
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寸刻みでノロノロと仲見世通りを北上
いつもなら揚げ煎餅やソフトクリームを食べながら歩く人が多いが、さすがの大混雑で買えなかったのか、歩き難いのか全く見かけない。 |
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仲見世通りを北上 宝蔵門 |
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仲見世通りを北上 五重塔
3年前(平成29年)に改修を終えた五重塔の金色の九輪が鮮やかである。 |
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仲見世通りを北上 宝蔵門 |
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浅草寺(大黒天) 本堂前の参拝客の長い列
宝蔵門を抜けたら参拝客の長い列があり、本堂のはるか手前に参拝列最後尾の看板が見える。 |
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浅草寺(大黒天) 本堂前の参拝客の長い列
いつもは本堂の正面に据え付けられている線香台の常香炉が右のお水舎の前に移設されている。参拝の邪魔になるので当然ではあるが、常香炉が移設されているのは初めて見た。 |
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浅草寺(大黒天) 本堂
浅草名所七福神巡りなので参拝すべきであるが、参拝客の長い列を見てスルーして浅草神社に向かった。
6年前(平成26年)の正月に来た時は本堂の右には月桂冠、左には大関の菰樽が積み重ねられていたが、今回は無かった。 |
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浅草神社(恵比寿) 鳥居 |
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浅草神社(恵比寿) 鳥居
いつもは閑散としている浅草神社であるが、境内の前から長い列ができている。しかし、これは参拝する人の列で、境内には横から入ることができる。 |
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浅草神社(恵比寿) 参道
参道沿いには飲食物の屋台はなく、酉の市とは違うが色鮮やかな熊手の屋台が並ぶ、 |
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浅草神社(恵比寿) 奉納されている獅子舞
いつ来たかは思い出せないが、過去数回正月に来た時は猿回しが行われていた。 |
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浅草神社(恵比寿) 奉納されている獅子舞 |
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浅草神社(恵比寿) 臨時に設けられた破魔矢などの拝受所 |
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浅草神社(恵比寿) 臨時に設けられた朱印所 |
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浅草神社(恵比寿) 奉納されている獅子舞 |
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浅草神社(恵比寿) 鳥居 |
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浅草寺(大黒天) 二天門
この二天門は、慶安二年(一六四九)頃に浅草寺の東門として建立されたようであるが、江戸時代を通じて浅草寺観観音堂の西側に建てられた東照宮の随身門と伝えられ、随身像が安置されていた。なお、浅草寺の東照宮は元和四年(一六一八)に建立されたが、寛永八年(一六三一)と同一九年の火災によって、浅草寺の他の諸堂とともに焼火し、その後東照宮は江戸城内の紅葉山に移された。
明治初年の神仏分離令によって門に安置された随身像は、仏教を守護する四天王のうち持国天・増長天の二天像に変わり、名称も二天門と改称した。
現在安置されている二天像は、京都七条の仏師、吉田兵部が江戸時代初期(十七紀後半)に制作したもので(東京都指定有形文化財)、昭和三十二年に寛永寺の厳有院殿(四代将軍徳川家綱)霊廟の勅使門から移されたものである。
二天門は昭和ニ十五年、国指定重要文化財に指定された。 |
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浅草寺(大黒天) 二天門 |