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浅草六区 木馬館 |
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浅草六区 大勝館 |
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浅草六区 浅草演芸ホール |
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すしや通り
浅草六区からすしや通り、雷門通り、国際通りを経て、浅草通りに向かう。 |
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右折し、浅草通りを上野へ
国際通りから寿4丁目交差点で右折する。交差点には東京メトロ(旧営団)銀座線の田原町駅がある。 |
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田原町の仏壇・仏具店
町名としては、寿、元浅草であり、田原町と言う名は今はない。次の駅である稲荷町もない。 |
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田原町の仏壇・仏具店 |
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かっぱ橋道具街 |
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かっぱ橋道具街に入るコミュニティバス めぐりん |
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かっぱ橋道具街 |
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清洲橋通りを渡る。
交差点に東京メトロ(旧営団)の稲荷町駅がある。 |
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下谷神社
上野駅近くで浅草通りにひときわ目立つ大鳥居である。神社は意外と小さいが、ホームページによると由緒正しい神社である。
当神社は、人皇第45代聖武天皇の御代天平2年(西暦730年)に峡田の稲置らが、大年神・日本武尊の御神徳を崇め奉って上野忍ヶ岡の地にこの二神をお祀したのが創めであると伝えられて居ります。第61代朱雀天皇の天慶3年田原藤太秀郷が相馬に向うとき当神社に参籠して朝敵平将門追討の祈願をなし、その平定の後報恩のため社殿を新に造営しました。 |
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下谷神社 |
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下谷神社 |
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旧町名由来案内 旧南稲荷町
明暦三年(一六五七)の江戸大火後、江戸各地の寺院がこの付近に移転してきた。そして、唯念寺、成就寺、宗源寺、西蓮寺の各門前に町屋ガ形成された。この頃、唯念寺の門前町屋は、町内に稲荷神社があったので、俗に稲荷町一丁目と呼ぱれていた。また、成就寺の門前町屋は稲荷町といっていた。明治二年、これら門前町屋は、隣接する辻番屋敷を合併して下谷稲荷町と名付けられた。稲荷神社は、現在の下谷神社である。 |
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下谷神社 寄席発祥之地の碑
寛政十年(一七九八年)六月、下谷稲荷神社境内に於いて咄の会が初めて有料で催され、これが江戸の寄席の発祥と伝えられる。 |
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下谷神社 寄席発祥之地の碑
寄席文字で書かれており、下段には鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の名がある。 |
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下谷神社 正岡子規 句碑
寄席はねて
上野の鐘の
夜長哉 |
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上野駅前の昭和通りを渡る。 |
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JR 上野駅 |