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清澄通り 都営大江戸線 門前仲町駅 
地上に出ると清澄通りで、右折して門前仲町交差点に向かう。 |
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清澄通り 門前仲町交差点で左折、永代通りへ  |
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永代通り 門前仲町の歩道に設けられた屋台 
まだ正月気分が抜けないようで、広い歩道の半分を使って屋台が並ぶ。 |
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永代通り 左折して深川不動尊 表参道 「人情深川御利益通り」へ 
元禄16年(1703年)に成田山新勝寺の別院として建立された。当時不動尊信仰が盛んで、成田山に行かずとも江戸で参詣したいとの町民の希望がかなった。 |
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深川不動尊 表参道 永代寺(吉祥院) 
富岡八幡宮の別当寺であった永代寺は、明治の神仏分離令により廃寺となった。その跡地は深川不動尊となり、江戸六地蔵は破壊された。
明治29年に旧永代寺の塔頭だった吉祥院が永代寺の名前を継承して現在に至る。表参道の右手にある。 |
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深川不動尊 表参道 「人情深川御利益通り」 
表参道はそれほど広くないので、商店の間に屋台を作るが、道の両側には設けられない。 |
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成田山 東京別院 深川不動尊 本堂 
神田明神や明治神宮ほどではないが、長い参拝客の列に驚き、破魔矢を買うだけにした。
深川不動堂は真言宗で、成田山不動堂新勝寺の出張所として明治11年(187B)当地に遷座され、同14年、堂宇が建立されました。
元禄(1688〜1703)の初め頃より、江戸で成田山不動が盛んに信仰されるようになり、元禄16年(1703)本尊不動明王か初めて富岡ハ幡宮の境内で出開帳されました。以来、出開帳のたびに、その様子が錦絵に描かれ出版されるほどになりました。 |
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深川不動尊 本堂前の小道で右折、深川公園へ  |
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深川公園 広場  |
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深川公園 記念碑群 
深川公園の右手、野球場フェンス前にひときわ目立つ日露戦争の忠魂碑があり、その横に日清戦争の忠魂碑と、永代寺跡の碑がある。 |
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深川公園 富岡八幡宮 別当永代寺跡 
深川不動の西側に隣接する公園で、往時は深川不動も含めて富岡八幡宮の境内だったことがうかがわれる。 |
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深川公園 明治卅七八年役戦死者忠魂碑(日露戦争忠魂碑) 
東京のあちこちで見られる忠魂碑で、日清戦争のものはほとんど無いことからも、いかに日露戦争が大きな影響を及ぼしたかが分る。 |
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深川公園 追悼征清戦死者之碑(日清戦争忠魂碑) 
日清戦争の忠魂碑は川崎大師など稀にしか見ない。 |
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深川公園 深川不動尊案内 
由来
深川不動尊は真言宗で、成田山不動堂新勝寺の出張所として明治11年(1878)当地に遷座され、同14年、堂宇が建立されました。
元禄(1688〜1703)の初め頃より、江戸で成田山不動が盛んに信仰されるようになり、元禄16年(1703)本尊不動明王が初めて富岡八幡宮の境内で出開帳されました。以来、出開帳のたびに、その様子が錦絵に描かれ出版されるほどになりました。 |
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深川公園から右折、深川不動尊 表参道へ  |
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深川不動尊 表参道 「人情深川御利益通り」 右折して永代通りへ  |
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永代通り 門前仲町交差点で右折、清澄通りへ  |
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都営大江戸線 門前仲町駅 
次の霊巌寺は都営大江戸線の次の清澄白河駅である。歩いても良いが、浅草駅から東禅寺を経て南千住駅までかなりの距離を歩くので、地下鉄に乗ることにした。 |