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ルーブル美術館(古代エジプト〜古代ギリシャ)

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ルーブル美術館 −2階 ナポレオンホール ルーブル美術館 −2階 ナポレオンホール 

ピラミッドの中央入口から入るとこのナポレオンホールに出る。ここからそれぞれの見物場所に向かう。ピラミッドのガラスが天井になっていて美しい。

階の表示が日本と違い、ホテル同様地上階が0階である。従って、ナポレオンホールは地下2階である。
ルーブル美術館 −2階 ナポレオンホール ルーブル美術館 −2階 ナポレオンホール 

フランス語、英語、中国語などで案内が掲示されている。ガイドによるツアー中は分からなかったが、地下鉄駅やショッピングモールともつながっている。(但し、美術館からは退館になるが。)
その意味では上野の博物館群よりも便利である。
ルーブル美術館 −2階 ナポレオンホール ルーブル美術館 −2階 ナポレオンホール 
ルーブル美術館 −2階 ナポレオンホール ルーブル美術館 −2階 ナポレオンホール 
ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡へ ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡へ 
ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡へ ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡へ 
ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡 ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡 

ルーブル美術館の修復時に発見されたルーブル濠の跡で、右と左とでは石積が異なり、左のほうが古いとのことである。
ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡 ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡 
ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡 ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡 

もともとルーヴル宮は、国王フィリップ・オーギュストが建設した要塞だった。国王は1190年、セーヌ川が弱点となる都パリの防衛組織を完成させるため、その建設を命じたのです。
堅固な城砦の中心に、まさに君主権力の象徴である主塔「グロス・トゥール〔大きな塔〕」がそびえていた。この円筒形の主塔は、外部と跳ね橋1つで結ばれており、退却に使われることは一度もなかったが、1295年以降は王室金庫の防護と牢獄に用いられた。

現在、来館者は城壁をとりまく壕をめぐり、跳ね橋の橋脚を見ることができる。

ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡 ルーブル美術館 −1階 ルーブル濠の跡 
ルーブル美術館 シュリー翼 −1階から0階 古代エジプトコーナーへ ルーブル美術館 シュリー翼 −1階から0階 古代エジプトコーナーへ 
ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代エジプトコーナー タニスの大スフィンクス ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代エジプトコーナー タニスの大スフィンクス 

タニスの大スフィンクス

古王国時代紀元前2620−2500年 花崗岩183×480×154cm 12トン ソルト・コレクションより1826年購入

エジプトのスフィンクスは、ライオンの体と王の頭部を持った巨大な「生きる王の像」であり、エジプトの敵陣に対して己の権力を誇示している。この素晴らしい彫刻作品は、それ以降の王のものとの推測もあるのだが、古王国時代(紀元前2600年頃)の作品とみられている。
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ  ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ イングレスミネルヴァ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ イングレスミネルヴァ 

イングレスミネルヴァ

.印象的なMinerva Ingresは、ローマのVilla Mediciの庭園にあります。フランスの画家Ingres(その後、ローマのフランスアカデミーのディレクター)が彼をフランスに送ることを決めました。彼女は1913年、パリのエコール・デ・ボザールで数年間保管された後、ルーヴル美術館に入館しました。この像は、紀元前5世紀に創作されたギリシア語の原画に触発された豊富な一連のローマの複製品に属しています。ヘッドとアームは報告されました -元のアクロライト技術を模倣する可能性のあるプロセスで凹んだカップによって示唆されたように - ボディの端は別々の材料で別々に刻まれました。 アテナは イージス 彼の肩に広がる:ゴルゴンの頭で飾られたヤギアマルテアの肌 海月 かつては金属ヘビが並んでいた。 女神はおそらくトリプルプルームで屋根裏ヘルメットを着用していて、アテネの偉大さと彼女の守護神の力を表す属性を備えていました。

ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代ギリシャ ミロのヴィーナス ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代ギリシャ ミロのヴィーナス 

ミロのヴィーナス

紀元前130年頃 パロス産大理石高さ204cm メロス島出土1821年取得 リヴィエール伯爵がルイ18世に贈呈後、ルイ18世寄贈

王冠をかぶり耳飾りをつけた愛の女神は、半裸だ。右足の支えの上には、古典主義から着想を得た彼女の全身が施され、リシップ以来の彫刻家がおこなってきたように様々な観点から観賞できるようになっている。顔つきは紀元前5世紀と4世紀の様式を反映しており、新古典主義様式の作品位置づけられている。
ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代ギリシャ ミロのヴィーナス ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代ギリシャ ミロのヴィーナス 

ミロのヴィーナスが海外で展示されたのは、昭和39年の4月から6月に東京上野の国立西洋美術館、京都の京都市美術館だけである。当時高校生だったが、学校として見物に出かけた。
ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代ギリシャ ミロのヴィーナス ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代ギリシャ ミロのヴィーナス 

上野で見た時は正面だけで、押すな押すな状態でじっくり見られなかった。後ろの光景も見るべき、とのガイドの案内で背後に回った。
ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代ギリシャ ミロのヴィーナス ルーブル美術館 シュリー翼 0階 古代ギリシャ ミロのヴィーナス 
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ ルーブル美術館 0階 古代ギリシャ 
ルーブル美術館 ドゥノン翼 0階 ダリュの階段 古代ギリシャ サモトレケのニケ ルーブル美術館 ドゥノン翼 0階 ダリュの階段 古代ギリシャ サモトレケのニケ 
ルーブル美術館 ドゥノン翼 0階 ダリュの階段 古代ギリシャ サモトレケのニケ ルーブル美術館 ドゥノン翼 0階 ダリュの階段 古代ギリシャ サモトレケのニケ 

ダリュの階段踊り場に展示されているサモトレケのニケは。翼を広げた女神像が有名だが、まさか船の舳先に立っているとは、知らなかった。

ミロのヴィーナスといい、サモトレケのニケと有名な2つの像がほとんど誰もいない状態で見られるとは思わなかった。
ルーブル美術館 ドゥノン翼 0階 ダリュの階段 古代ギリシャ サモトレケのニケ ルーブル美術館 ドゥノン翼 0階 ダリュの階段 古代ギリシャ サモトレケのニケ 

サモトレケのニケ

海戦(おそらくシデでの)の勝利を祝うロドス島民の奉納品 紀元前2世紀初頭バロス産大理石(像) ラルレス産灰色大理石(船) 高さ328cm(像を含む)200cm(船) 36cm(台座)サモトラケ出土 1864年、1879年、1891年シャルル・シャンボワゾーの3度の派遣により取得。

このモニュメントは、海上の偉大なる神々の神殿の中にそびえる軍艦の舳先に立ち、勝利を表している。その大きな翼は、力強い体に衣服をなでつける海風を押し切って広げられている。頭部と腕が欠けているが、右手が1950年に発掘されたので、勝利を宣言して腕を持ち上げるポーズを復元することが可能になった。
ルーブル美術館 ドゥノン翼 0階 ダリュの階段 古代ギリシャ サモトレケのニケ ルーブル美術館 ドゥノン翼 0階 ダリュの階段 古代ギリシャ サモトレケのニケ 



 
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