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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 遊覧船から見たルーブル美術館 ドゥノン翼  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 遊覧船から見たルーブル美術館 ドゥノン翼  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう ロワイヤル橋 遊覧船から見たルーブル美術館 ドゥノン翼  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう ロワイヤル橋  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう オルセー美術館 
かつての駅舎を利用した美術館で、1848年〜1914年までの印象派絵画が充実している。駅舎時代の名残を残すためか、壁面にはパリ〜オルレアンのような表示がされている。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 
行き交う船はそれぞれデザインが異なり、遊覧船は何隻あるのだろう、と思う。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう レオポール・セダール・サンゴール橋  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう フランス国会議事堂 
三色旗がはためくギリシャ神殿風の建物はフランス国会議事堂で、コンコルド橋の南詰にある。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう コンコルド橋  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう コンコルド橋 
奥にコンコルド広場のオベリスクが見える。前回(平成24年3月)にパリに来た時はあまりの長蛇の列でルーブル美術館は断念し、チュイルリー公園を歩きコンコルド広場でUターンしてセーヌ川沿いに東進、オルセー美術館を見物した。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう アレクサンドル3世橋 
アレクサンドル3世橋の華麗な装飾付きの親柱の背後にエッフェル塔が見えだす。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう アレクサンドル3世橋 
アレクサンドル3世橋はフランス共和国の大統領サディ・カルノーとロシア皇帝アレクサンドル3世の間に結ばれた友好の証として、ニコライ2世により1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設、パリ市に寄贈された。
橋はアンヴァリッド広場とグラン・パレ、プティ・パレの間を結ぶように建設された。
アレクサンドル3世橋はアールヌーヴォーの街灯、天使やニンフの像、ペーガソスといった華麗な装飾で有名である。 四隅の17mの高さの柱の上にはそれぞれ芸術、農業、闘争、戦争を意味する女神像が立っている。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう アレクサンドル3世橋  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう アレクサンドル3世橋  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう アレクサンドル3世橋  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう アンヴァリッド橋 
アンヴァリッド橋
この橋ははじめアンヴァリッドの正面、現在アレクサンドル3世橋があるところに架けられる予定だった。1821年アンリ・ナビエがセーヌ川に支柱を持たない吊り橋の構想を立てた。そして建設は1824年に始まったのだが、落盤がおこり橋は供用される前に解体を余儀なくされたのだった。アンヴァリッドの眺めが悪くなるという不満の声があったので当局は橋の位置を下流に移すことにした。この橋は1829年に完成したが、老朽化が速く1850年には交通規制がされるほどだった。1854年にはパリ万国博覧会を目指して橋を架け替えることになった。
通称アンヴァリッド(仏: Les Invalides)は、パリの歴史的建造物の一つ、旧・軍病院。廃兵院とも書く。ナポレオン1世の廟がある。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 
中央にエッフェル塔が、左にアメリカン教会の尖塔が見える。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 
クルーズ船のバトー・ムーシュである。大きな船である。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう アルマ橋  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 
バトー・ムーシュに比べればだいぶ見劣りするがディナークルーズ船である。よく分からないが、夜のディナーの準備をしているのでは、と思う。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 
どう見ても乗船している船よりも小さく、設備に劣る船はないような気がしてきた。但し、どの船も満員で乗船している船のように自由に席を移ったり、のんびり写真を撮れる環境にはない。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 
エッフェル塔が右前方に大きく見えてきた。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう ドゥビリ橋 
この橋はもともと1900年の万国博覧会のために一時的な橋として架けられた。同時期に架けられた橋にアレクサンドル3世橋やオステルリッツ高架橋がある。橋の名前は軍事博覧会橋、マグデブール橋と転々としたが第一帝政期の軍人でイエナの戦いで戦死したジャン・ルイ・ドゥ・ビリーの名を取ってドゥビリ橋と名付けられた。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう エッフェル塔が間近に見える  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう エッフェル塔が間近に見える  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう エッフェル塔が間近に見える  |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう イエナ橋 
イエナ橋はエッフェル塔の足下にある。陸軍士官学校(エコール・ミリテール)に面する橋の建設を決めたのはナポレオンで、橋の名前はもともと「シャン・ド・マルス橋」または「士官学校橋」になるはずだったが1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いの勝利から取られた「イエナ橋」になった。
最初の橋は1808年から1814年に架けられた。1853年には橋の四方に4体の彫刻が据えられた。
右岸
ガリアの戦士
ローマの戦士
左岸
アラブの戦士
ギリシャの戦士 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう イエナ橋、エッフェル塔 
右下のイエナ橋はエッフェル塔の足元にある。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう 
イエナ橋を過ぎてさらに下流に向かう。 |
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セーヌ川遊覧(ノートルダム大聖堂〜エッフェル塔) 下流に向かう ビル・アケム橋手前で左に回頭、上流に向かう  |