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龍宮社〜二見興玉神社〜伊勢夫婦岩めおと横丁

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二見浦 二見興玉神社への参道 縁結の歌碑 二見浦 二見興玉神社への参道 縁結の歌碑 

伊勢志摩国立公園 縁結の歌碑

舘まさお作 西條八十補作

お伊勢まいりに 見そめたあなた
 むすぶ縁の 夫婦岩

             浜地文兵書
二見浦 二見興玉神社への参道 境内社 龍宮社 鳥居 二見浦 二見興玉神社への参道 境内社 龍宮社 鳥居 
二見浦 二見興玉神社への参道から見た伊勢夫婦岩めおと横丁 二見浦 二見興玉神社への参道から見た伊勢夫婦岩めおと横丁 
二見浦 二見興玉神社への参道 境内社 龍宮社 二見浦 二見興玉神社への参道 境内社 龍宮社 

祭神 大綿津見神は海の守護神として、あがめられ当神社は全国の漁業船舶関係の方の信仰があつく、また龍宮さんとして不可思議な霊験により一般の信者の方々に尊ばれ心願成就、開運、商売繁昌、海上交通安全、大漁満足等の御利益のある尊い神様であります。

郷中施
龍神をお祀りせし起源は寛政四年五月十五日の大津波の為二見郷江村の民家の大□□災、無難の家は僅か五、六軒と いう前古未曾有の災害が発生し、村人たちは隣人相助け合い他人は□□を寄せたり精神的、物質的な援助を行い、助け励まし合ってこの水難から立ち直り、以来犠牲者の追善供養又今後再び水難に遭遇せぬようにと海の安全を祈願して五十鈴川江の河口に龍神を勧請した。爾来今の地に遷るまでは大江寺の住職が祭祀を怠らず追善供養の誠を捧げる と共に村人の祈念により村内平穏に今日まで至った。この龍神は五十鈴川河口の埋立や護岸工事の為昭和十三年、当社境内の一隅に遷され龍宮社と称し、昭和二十六年二見興玉神社の承認を傅て同年六月十八日龍宮社と奉称、昭和四十六年十二月二十日現在の社殿が造営された。
二見浦 二見興玉神社への参道 境内社 龍宮社 二見浦 二見興玉神社への参道 境内社 龍宮社 
二見浦 二見興玉神社への参道 二見浦と浜参宮 二見浦 二見興玉神社への参道 二見浦と浜参宮 

二見浦と浜参宮

 夫婦岩(立石)沖には、現在は海中に没していますが、神様が寄り付く岩・興玉神石があり、この周辺の立石浜は、神々のいる常世の国から寄せる波が最初に届く聖なる浜と信じられてきました。
神仏に参拝する時、水を浴びて身心を清めることを垢離と言いますが、古来立石浜は伊勢神宮の禊場(垢離場)として人々の信仰を集めてきたのです。神領民は勿論、全国から来られた方々も外宮から内宮へ廻る神宮参拝や神事に参加する前にこの浜で禊をするのが慣わしです。このように事前に禊のために立石浜を訪れてお祓いを受けることを「浜参宮」と言います。
本来は実際に海水に浸かって禊をするのですが、現在では、二見興玉神社に参拝し、興玉神石より採取した無垢鹽草草で身を清めるお祓いを受ける浜参宮が一般的です。
 二見浦 二見興玉神社への参道 禊橋 二見浦 二見興玉神社への参道 禊橋 
二見浦 二見興玉神社への参道 夫婦岩 二見浦 二見興玉神社への参道 夫婦岩 

約50年前の大学2年の春休み、当時流行っていたユースホステルでの日本全国一人旅の第一歩として南紀旅行を始めた。東京から夜行で着いてそのまま夫婦岩を訪れたが、詳しくは忘れたが、国鉄の参宮線二見浦駅から歩いた思い出がある。土地の年配女性に道を尋ねたが、訛りのある関西弁は理解できず、しばらく行ってから女子高生に尋ねてたどり着いた。

東京生まれの東京育ちで、熱海を超えたのは中学、高校の修学旅行だけという学生にとって、初めての一人旅で見た夫婦岩に感動したが、改めて今見ると、小さな岩だと思う。
二見浦 二見興玉神社への参道 夫婦岩 二見浦 二見興玉神社への参道 夫婦岩 

夫婦岩
 夫婦岩は、沖合660mの海中に鎮まる興玉神石の鳥居と見なされており、日の出の遥拝所として古くから知られています。
 男岩と女岩を結ぶ大注連縄は、「結界の縄」と称され大注連縄の向うを常世神が太平洋の彼方から寄りつく聖なる場所、そして手前を俗世という隔りを持ち張られています。
 この大注連縄は、およそ650年前(文保年間)、既に張られており、現在も氏子により大注連縄張替の神事が年3回、5月5日・9月5日と112月の第3日曜日に行なわれています。
 夫婦岩の大きさは、男岩 高さ9mm、女岩 高さ4mで二つの岩を結ぶ大注連縄ま長さ35m、男岩に16m、女岩に10mか巻かれ、その間9mあります。
 夫婦岩の間からの日の出は、5月から7月頃が見ころで、その絶景は深い感動を与えています。
二見浦 二見興玉神社への参道 夫婦岩、二見蛙 二見浦 二見興玉神社への参道 夫婦岩、二見蛙 

蛙は二見興玉神社の祭神である猿田彦大神の使いとされ、多くの蛙が飾られており、添乗員の説明では、「無事カエル」、「お金がカエル」、「貸した物がカエル」などの意味があるそうである。

参道入口の龍宮社付近にある土産物店で蛙の置物を勧められていた人が、「関東で蛙は筑波山で十分」と言ったら、「御利益が違う」と言い返されていた。たしかに筑波山はガマの油で、○○が帰る、の御利益は聞いたことがない。
二見浦 二見興玉神社 夫婦岩、大注連縄 二見浦 二見興玉神社 夫婦岩、大注連縄 

夫婦岩は
「日の大神(太陽)」と
夫婦岩沖合の「興玉神石」を
拝む鳥居の役目をしております

大注連縄(五本)
長さ三五m・重さ四〇kg・太さ一〇cm
張替日(年三回)
五月五日・九月五日・十二月中旬

大注連縄奉献者御芳名
大注連縄は、皆様の御赤誠で
張り替えられます
御奉献御希望の方は、
拝殿前受付までお越し下さい

大神様の御利益を頂き
縁結び・夫婦の絆・家族の絆
世界に平和・共存共栄の絆
更に強く結ばれます
二見浦 二見興玉神社 拝殿内特別参拝 二見浦 二見興玉神社 拝殿内特別参拝 

今回のツアーのハイライトの一つである拝殿内の特別参拝である。若い女性の神職(巫女ではない)による神社の故事来歴説明、参拝の仕方と二礼二拍手一礼の実地指導が行われ、最後に参拝記念品を拝受する。
二見浦 二見興玉神社 拝殿 二見浦 二見興玉神社 拝殿 
二見浦 二見興玉神社 夫婦岩 二見浦 二見興玉神社 夫婦岩 
二見浦 二見興玉神社 夫婦岩 二見浦 二見興玉神社 夫婦岩 
二見浦 二見興玉神社 夫婦岩 二見浦 二見興玉神社 夫婦岩 
二見浦 二見興玉神社からの参道を戻る 禊橋 二見浦 二見興玉神社からの参道を戻る 禊橋 
二見浦 二見興玉神社からの参道から見た風景 二見浦 二見興玉神社からの参道から見た風景 
二見浦 二見興玉神社への参道を戻る 龍宮社 二見浦 二見興玉神社への参道を戻る 龍宮社 
二見浦 二見興玉神社への参道を戻る 龍宮社 鳥居 二見浦 二見興玉神社への参道を戻る 龍宮社 鳥居 
二見浦 伊勢夫婦岩めおと横丁 二見浦 伊勢夫婦岩めおと横丁 
二見浦 伊勢夫婦岩めおと横丁 大注連縄 二見浦 伊勢夫婦岩めおと横丁 大注連縄 

昔から人々は陽の光に大いなる崇敬をよせてまいりました。中でもここ夫婦岩の日の出の神拝所として世界的に知られた名勝地です。
男岩(高さ9米)、女岩(高さ4米)の間9米に懸けられた大注連縄奉献の意味は一切の不浄を祓って日の神及び夫婦岩の沖700米の海中に座す興玉神石(猿田彦大神が天照大神「をお迎えしたと伝えられる)逢拝の鳥居に献ずる古いならわしであり、すでに約650年前(文保年間)奉献しあったと記録にあります。
大注連縄は5本が束ねられておりますが、長さ35米重さ40キ囗の大きさを実感して下さい。
なお、張り替え神事は年3回、5月5日、9月5日、12月第3日曜日に行われます。
二見浦 伊勢夫婦岩めおと横丁 大注連縄 二見浦 伊勢夫婦岩めおと横丁 大注連縄 
 二見浦 伊勢夫婦岩めおと横丁 めおと ちょうちん参道 二見浦 伊勢夫婦岩めおと横丁 めおと ちょうちん参道 



 
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