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菊花展の湯島天神(男坂〜本殿〜授与所)

【関連サイト】   都心の菊花展散策H201104(湯島天神 菊花展)
湯島天神、亀戸天神の満開の梅を楽しむ(H27−02−27)(湯島天神の梅祭りH270227)

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湯島天神 男坂上の鳥居 
湯島天神 男坂上の鳥居 湯島天神 男坂上の鳥居脇 講談高座発祥の地碑 

男坂の鳥居の脇にある。

 江戸時代中期までの講談は、町の辻々に立っての辻講釈や、粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演じられていた。
 文化四年(一八〇七年)湯島天満宮の境内に住み、そこを席場としていた講談師伊東燕晋が、家康公の偉業を読むにあたり庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高さ三尺、一間四面の高座常設を北町奉行小田切土佐守に願い出て許された。これが高座の始まりであり、当宮の境内こそ我が国伝統話芸講談高座発祥の地である。
湯島天神 男坂上の鳥居脇 講談高座発祥の地碑 湯島天神 男坂上の鳥居脇 瓦斯灯 
湯島天神 男坂上の鳥居脇 瓦斯灯 湯島天神 男坂上の鳥居脇 瓦斯灯 

青白いガス灯、清らかな白梅
 「お蔦、何も言わずに俺と別れてくれ」
 「切れるの別れるのって、そんなことは……」
これは有名な新派「婦系図」(原作・泉鏡花)の湯島天神の場である。
 この境内には、もとガス灯が五基あったのが、そのうち形だけ残っていた男坂上の最後の一基は、昭和四十年頃撤去された。
 ガス街灯は、明治五年(一八七二)開港地横浜に点灯されたのが最初で、東京には、同七年金杉橋・京橋間に八十五基が設置された。
 ガス灯は、文明開化のシンボルで明治の時代を象徴するものであった
 今、ここに、東京ガス株式会社の協力を得て、ガス灯を設け点灯することになったが、これは都内で屋外のものとしては、唯一つのものである。
    昭和五十六年十一月二日
           文京区観光協会

 湯島の白梅 作詞 佐伯孝夫

 (三) 青いガス灯 境内を
      出れば本郷切通し
     あかぬ別れの中空に
      鐘は墨絵の 上野山
湯島天神 男坂上の鳥居脇 瓦斯灯 湯島天神 男坂上の鳥居脇 文具至宝碑 
湯島天神 男坂上の鳥居脇 文具至宝碑 湯島天神 男坂上の鳥居脇 文具至宝碑由来 

中国より渡来した紙筆墨硯は文房四宝と称せられ読み書き算盤の寺子屋時代から明治の学制発布により高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきた
今や文房具はOA器機にいたる迄その範疇を広げ四宝から至宝に至って戦後の日本国を世界の大国に復興せしめた教育の原動力となった十一月三日(文化の日)を文具の日として定め平成元年を迎えるに当たり先人に報恩感謝の念を捧げつつここ学問の神さま湯島天神の境内に文具至宝碑を建立する
湯島天神 男坂上の鳥居脇 文具至宝碑由来 湯島天神 宝物殿脇 新派碑 
湯島天神 宝物殿脇 新派碑 湯島天神 宝物殿脇 新派碑 
湯島天神 宝物殿脇 新派碑 湯島天神 宝物殿脇 「新派」碑由来 

 この「新派」の記念碑は新派劇創立九十年を迎えた昭和五十二年十一月一日松竹株式会社と水谷八重子氏により新橋演舞場玄関脇に建てられました。
新派の始まりは、明治二十一年十二月自由党壮士角藤定憲が同志を集め大阪の新町座で「大日本壮士改良演劇会」の旗揚げをしたのが起源とされています。風説激しい九十年でありましたが、今日「劇団新派」として隆盛を見ましたその先人たちの労苦を偲び併せて今後の精進を誓うべく記念碑の建立を見た次第です。
 そして新橋演舞場の改築にあたり当湯島天神様のご好意により新派とは深い縁で結ばれております当天神様のご境内に移させていただいたものです。
 なお碑の題字は作家の川口松太郎氏の揮毫により設計は舞台美術家の中嶋八郎氏です。
左側の梅樹は昭和三十一年新派の名優故花柳章太郎氏の献木によるもので奇しくも記念碑と献木が同じこの場所に並んだ次第です。
湯島天神 宝物殿脇 「新派」碑由来 湯島天神 東参道の突き当りで右折、表参道を本殿へ 
湯島天神 東参道の突き当りで右折、表参道を本殿へ 湯島天神 本殿 
湯島天神 本殿 湯島天神 本殿前の懸崖 

企業が出展している懸崖が飾られている。
湯島天神 本殿前の懸崖 湯島天神 本殿前の懸崖 
湯島天神 本殿前の懸崖 湯島天神 本殿前にある鈴なりの絵馬 

一見ほぼ一年前の受験シーズンに飾られた絵馬のように見えるが、日付を見ると10月か11月と直近のものばかりである。しかし、いかにも受験生という人はおらず、菊花展を見に来た中高年ばかりである。
湯島天神 本殿前にある鈴なりの絵馬 湯島天神 授与所前に飾られた境内案内図 
湯島天神 授与所前に飾られた境内案内図 湯島天神 本殿と授与所の間を北上 
湯島天神 本殿と授与所の間を北上 湯島天神 菊花展 授与所に続く東回廊の菊 
湯島天神 菊花展 授与所に続く東回廊の菊 湯島天神 菊花展 本殿に沿った東側の菊 
湯島天神 菊花展 本殿に沿った東側の菊 湯島天神 菊花展 本殿に沿った東側の菊 
湯島天神 菊花展 本殿に沿った東側の菊 湯島天神 東回廊の合間にある都々逸之碑 

碑文の原文は句読点が無いため、適宜補った。

都々逸は日本語の優雅さ言葉の綾言回しの妙などを巧みに用いて人生の機微を二十六字で綴る大衆の詩である 古くより黒岩涙香 平山蘆江 長谷川伸らの先覚者により普及し われわれとその流れの中で研鑽を重ねて来た短歌俳句と並ぶ三大詩型の伝統を守り更なる向上と発展を願い 各吟社協賛の下詩歌の神の在すこの地に碑を建立する
湯島天神 東回廊の合間にある都々逸之碑 湯島天神 菊花展 東回廊の菊 千輪咲 
湯島天神 菊花展 東回廊の菊 千輪咲 湯島天神 菊花展 東回廊の菊 千輪咲 

前年の十一月頃から冬至芽を育て、摘芯を繰り返して枝数を増やし、一本の苗から中心の一輪より一段毎に六輪ずつ花を増やし、二五〇〜四〇〇個の花を咲かせ全体で一厘の花のごとくくみ上げます。沢山の花を、同じ大きさに、同時に咲かせるのが腕の見せ所です。
花数の世界記録は二三一九輪で、根の丈夫な中国ヨモギに接木し、一年間は電灯をつけて花をつけないように育てたものです。
湯島天神 菊花展 東回廊の菊 千輪咲 湯島天神 菊花展 東回廊の菊 千輪咲 

千輪咲の例示の菊である。説明文が以前読んだような気がして帰宅後調べたら、5年前には千「本」咲となっていた。何らかの事情で千「輪」咲としたらしく、紙を貼って修正していた。



 
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