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福岡空港 到着デッキ
羽田空港〜福岡空港〜JR博多駅〜福岡市営地下鉄 空港線 西新駅〜サザエさん通り〜福岡市博物館
【撮影記録】
平成30年 9月 18日 晴れ
羽田で通常よりも早く搭乗が開始されたためカメラが用意できなかったのが心残りである。赤茶けた富士山山頂を通り、琵琶湖、淡路島、明石海峡大橋、瀬戸大橋(岡山)、しまなみ海道と瀬戸内海を飛行、博多に向かうのがよく見えた。
博多のホテルで荷物を預けたあと、志賀島の金印(漢委奴国王印)を見るため福岡市博物館に向かったが、3連休明けだったためか、休館日だった。
予定ではそこから福岡ヤフオクドーム、大濠公園、天神、中洲と歩いて博多駅前のホテルに戻る予定だったが、今年の酷暑でほとんど家に引きこもりだったこともあり、軽い熱中症状態だったのでバスで戻ることにした。 |
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福岡空港 到着ロビーを経て地下鉄 福岡空港駅へ |
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福岡空港 到着ロビーを経て地下鉄 福岡空港駅へ
到着ロビーからエスカレータを乗り継いで約10分、地下鉄空港線に乗って2駅目の博多駅には5分で着く。料金は260円と少し高い。 |
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JR 博多駅 博多口(天神方面)
地下鉄を出て階段を上ってくると博多駅中央口に着く。そこで中央通路の左右に案内が博多口、筑紫口と表示されているが、天神方面がどちらなのかが表示されておらず、分からない。重い荷物を持ちながら筑紫口に向かうが、駅前は繁華街らしくなく、博多口に向かった。 |
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JR 博多駅 博多口(天神方面) 駅前小公園
駅前に小公園があり、気温は30℃を越し、蒸し暑い。今年は35℃を超す日が続き、家に閉じこもることが多かったため、この程度の残暑でも体には応える。昼休みということもあって、涼むサラリーマンで数多いベンチは満席で混んでいる。 |
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JR 博多駅 博多口(天神方面) 駅前小公園 |
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JR 博多駅 博多口(天神方面) |
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JR 博多駅 博多口(天神方面) 住吉通り 西日本シティ銀行本店
博多駅の正面に西に向かう大博通りがあり、南に向かう住吉通りの左手に煉瓦色の西日本シティ銀行本店が見える。 |
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JR 博多駅 博多口(天神方面) 博多節舞姿
駅の南端にひっそりと立っている像であるが、残念ながら雨水による劣化が激しい。 |
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JR 博多駅 博多口(天神方面)
今年の2月に中国、四国を旅行した時、特に松山城見物時にキャリーバックで上り下りに苦労した経緯があり大きめのスポーツバックにしたことが裏目に出た。博多駅のような平坦地では重いバックが肩に応える。その事もあって住吉通り沿いの今日泊まるホテルに荷物を預けることにした。 |
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博多 住吉通り 博多駅前3丁目交差点で右折
正面に日本生命博多駅前第二ビルがある博多駅前3丁目交差点で右折する。左折すると筑紫通りとなる。 |
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博多 住吉通り ANAクラウンプラザホテル福岡 |
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ANAクラウンプラザホテル福岡 ロビー 博多祇園山笠 六番山笠 東流
思君慈母成鬼神
(きみをおもえばじぼもきじんとならん)
大切な人の為なら優しい毋も鬼神になる
山笠事で城(家庭や家業)を留守にする男衆に代わりに、それを守る『ごりょんさん』に敬意を表します。
豊後・大友宗麟の一族で豊後鶴崎城城主・吉岡統増(むねます)の母で、「夫は戦死しており、出家して『妙林尼』と称していました。天正十四年(一五七六年)、島津勢と大友勢との戦いに息子の統増は精鋭を率いて参戦します。その為、残ったのは老兵・農民・女子供だけです。島津の分隊三千が鶴崎城を取り囲みます。
降伏との意見か多い中、妙林尼か指揮を取り二八〇丁の鉄砲と鳴子・落とし穴・馬矢来などを駆使して撃退すること十六回。手を焼いた島津勢からの和睦提案を受け入れたと見せかけ何度も酒宴を開きます。その後、豊臣秀吉が九州攻めを開始したため、早朝に二日酔いで島津勢は撤退を開始。退路に伏兵を置き奇襲をかけ討ち取った武将の六十三首を大友宗麟に届け、報告を間いた秀吉を驚愕させた人物です。 |
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ANAクラウンプラザホテル福岡 ロビー 博多祇園山笠 六番山笠 東流 |
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ANAクラウンプラザホテル福岡 ロビー 博多祇園山笠 六番山笠 東流
博多祇園山笠とは
博多祇園山笠は、七七〇年の昔から博多の街に伝わる夏の一大イベントであり、祭りです。祭り全体が国の重要無形民俗文化財に指定されています。博多祇園山笠の起源につきましては、次のとおり伝えられています。鎌倉時代、仁治二年二年(一二四一年)のこと、博多の町に疫病か発生し、多くの人がバタバタと倒れました。承天寺の開山、聖一国師弁円が病魔折状の辻祈祷をし、町の人々が施餓鬼棚に棒をつけ、町中をかつぎ廻りました。国師がその上に乗り、甘露水をまいて町中を清めると、さしもの病魔も退散してしまったということです。
博多祇園山笠は、博多の三大祭り(どんたく、山笠、放生会)の一つで、毎年七月一日から十五日にかけて博多の街一体で勇壮な祭りが繰り広げられます。
山笠行事の一つ、『棒洗い』はここ博多埠頭の先端にある櫛田神社の浜宮で行われます。山笠で使われる六本の棒に勢いよく海水をかけ、荒縄やタワシで棒の汚れを洗い流す神事です。
そして、祭りのクライマックス、十五日間のフィナーレが、七月十五日の早朝、午前四時五十九分、櫓の上の太鼓を合図に、「ヤーッ」というかけ声と共に男達に担がれた『山』が『櫛田入り』をし、博多の街に練り出していく勇壮な『追い山笠』です。 |
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ANAクラウンプラザホテル福岡 ロビー 博多祇園山笠 六番山笠 東流 |
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ANAクラウンプラザホテル福岡 ロビー 博多祇園山笠
博多祇園山笠
博多祇園山笠は五月の博多どんたく九月の箱崎放生会と並ぶ博多の三大祭り。博多っ子の意気と熱が爆発する男の祭だ。起源には諸説あるが一説に寛元元年(一二四三)悪疫がはやったとき博多承天寺の開山聖一国師が施餓鬼棚に乗って市中を練り病魔退散を祈ったとされる。
七月一日から十五日まで、町は優美な飾り山と勇壮な舁き山でいろどられる。飾り山は高さ一〇メートル、博多人形師が腕を振るって軍記ものや、お話の世界を描く夢幻の世界、舁き山は重さ一トンこれを前後六本の棒でかつぎ上げ「オッショイ、オッショイ」の掛け声で数十、数百人が一団となって突進する。博多的というか九州的というか、まさに豪快無比、全国に類がない。
クライマックスは十五日未明の追い山で、例年八本の舁き山が櫛田神社境内と市街地約五キロコースの二本建てでタイムを競う。西頭哲三郎氏制作によるこの追山人形は、山笠台、参加群像とも十分の一の縮尺とし、舁き子の服装、人数その他、努めて忠実に再現し、博多生まれの膚でつかんだ祭りの熱気を吹き込んだところが見どころとなっている。 |
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ANAクラウンプラザホテル福岡 ロビー 博多祇園山笠
詳しくは忘れたが、宮崎の工場に勤務していた二十数年前に博多に出張し、接待でクラブで飲んでいたことがある。いつもはスーツ姿のサラリーマンで賑わっている店が空いていておかしいな、と思ったら、どっとハッピ、締め込み姿の集団が入ってきて驚いたことがある。
その時博多の人から山笠の参加者達だと教えられ、これが有名な、と納得した。ちなみに東京の全ての祭りを見たわけではないが、三社祭や神田祭、天下祭などで締め込み姿は見たことがない。 |
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博多 住吉通り ANAクラウンプラザホテル福岡
ホテルに荷物を預けたあと、リュックにカメラのスタイルで博多駅の地下鉄乗り場に向かった。 |