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神宮道 知恩院 三門
平安神宮から神宮道を下り、知恩院の駐車場でバスを降り、知恩院、円山公園を経て八坂神社、祇園に向かう。 |
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神宮道 知恩院 和順会館 |
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神宮道 知恩院 和順会館 |
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円山公園 名物 枝垂桜 |
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円山公園 名物 枝垂桜
ガイドによると、近年カラスのフン害で樹勢が衰えてきているとのことである。
今年(令和元年)の7月に祇園祭の翌日に高台院を経て訪れた時は急な雨のためじっくり見ることもなかったが、たしかに樹勢の衰えは歴然としている。
枝垂桜前に設けられた銘板は、前回は急な雨で読むことは出来なかったが、今回は問題なかった。 |
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円山公園 名物 枝垂桜
枝垂桜
この桜は、「円山の枝垂桜」、「祇園の夜桜」として惜しまれながら昭和二十二年(一九四七)枯死した枝垂桜の二代目です。
初代の枝垂桜は、八坂神社が、祇園感神院と呼ばれていた頃、その坊の一つ宝寿院の庭にあったものといわれています。
明治初年、この付近の地が官有地に編入され、樹木が伐採されようとしたとき、明石博高氏が名木を惜しみ、譲り受けて京都府に寄贈し、のちに円山公園が京都市に移管されるに伴って、市の管理となりました。
初代の桜は、樹齢二百余年、根廻り約4メートル、高さ約十二メートルに及び、明治中頃には盛観を極めたといわれています。
現在の桜は、十五代佐野藤右衛門氏により、昭和初年に初代の桜から種子を採って育てられたもので、昭和二十四年(一九四七)に寄贈、植栽されました。
この桜の正式な名は「一重白彼岸枝垂桜」といい、数多い桜の種類の中では、最も寿命の長いものといわれています。
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円山公園 名物 枝垂桜前の風景 |
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円山公園 名物 枝垂桜の南側を西進
ここから八坂神社までは前回の7月に来たときと同じである。 |
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円山公園を西進 祇園祭山鉾館
祇園祭山鉾館
祇園祭は遠く平安時代から千百有余年にもわたる長い歴史のなかで私達の祖先が幾多の苦艱をのりこえて守り育てできた、京都市民の貴重な文化遺産であります。
なかでも、山鉾は「祇園祭山鉾」として国の重要有形民俗文化財に、その行事は「京都祇園祭の山鉾行事」として同じく国の重要無形民俗文化財に指定されています。本市では、昭和四三年一一月、保存が困難な状況にあった左記山鉾を永久に保存するため、祇園祭山鉾館を建設しました。
現在、左記一〇基の山鉾を収蔵しています。なお各収蔵室の扉上に掲げた扁額は、同館建設当時、京都在住の芸術家の方々の揮毫になるものです。
収蔵山鉾(左の収蔵室から順)
木賊山・芦刈山・伯牙山・郭巨山・油天神山・太子山・浄妙山・黒主山・孟宗山・岩戸山 |
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円山公園を西進、八坂神社へ |
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八坂神社 本殿 舞殿
正面に舞殿があり、右奥に本殿がある。
7月に訪れた時は雨が激しく、じっくり見るどころではなかった。 |
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八坂神社 本殿 |
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八坂神社 社務所 神札授与所
八坂神社に来るまでに、ガイドから京都の中国人による観光公害について散々聞かされたうちの一つがこの着物姿である。
写真ではまともな着物に見えるが、柄は全てプリントであり、汚してもすぐ洗濯機で洗える、とのコメントどおり、その安物感はひどいものである。また、日本人なら絶対にありえない50代、60代女性のけばけばしいピンクや赤の着物姿はおぞましい、の一言である。
もっとも、ガイドに言わせれば日本人からどのように見られているかも知らず、本人は着飾っていると喜んでいる中国人も哀れだが、そのような商売で大儲けしている京都商人も自慢出きるものではない。ツアー参加の年配女性から辛辣な中国人評が出たのは言うまでもない。 |
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八坂神社 参道を西進 |
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八坂神社 参道を西進 西楼門 |
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八坂神社 西楼門から見た四条通と東大路通が交差する祇園交差点 |
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八坂神社 祇園交差点から見た西楼門
ここで円山公園の料亭で取る夕食までの1時間が自由時間となり、近くの祇園散策となった。
しかし、3ヶ月前の7月に祇園の花見小路を訪れており、交差点にある洒落た喫茶店で挽きたてのコーヒーを飲んで時間を過ごした。 |
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円山公園 北側沿いの料亭街を歩く |
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円山公園 北側沿いの料亭街を歩く |
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円山公園 料亭 懐石料理 円山志ぐれ
懐石料理 円山志ぐれで2時間に亘り懐石料理を楽しんだ。料理は小綺麗だが、味が甘すぎるものが多く、手を付けないものもあった。 |
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円山公園 北側沿いの料亭街を歩く |
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円山公園 北側沿いの料亭街を歩く |
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神宮道 知恩院 和順会館
知恩院の和順会館を過ぎて駐車場についてホテルに向かった。 |