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大徳寺 秋の特別公開 総見院R011027

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大徳寺 総見院 正門・土塀 大徳寺 総見院 正門・土塀 

いずれも天正十一年、秀吉公が創建した当時そのままの姿で現存する。土塀は「親子塀」といわれるもので、厚みがあり、内部に空洞をもつ、二重構造になっている。
大徳寺 総見院 墓地 侘助椿 大徳寺 総見院 墓地 侘助椿 

本堂で総見院についての案内と見物があるが、指定の時刻には余裕があるので織田一族の墓所を先に見物することにした。

総見院のワビスケ
 総見院は、天正十一年(一五八三)に豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために建立じた寺である。
 総見院のワビスケは、秀吉が干利休から譲り受けて植えたものが大きくなったと伝えられている。ワビスケは、花が小さく早春から咲き、茶花としてもよく用いられるツバキの園芸品種であるが、この木はこの品種の現存する最も古い個体であり、貴重である。
 昭和五十八年六月一日京都市指定天然記念物に指定された。

侘助椿
秀吉公が千利休から譲り受けて植えたものと伝えられて
いる。早春に小さな花を咲かせ、お茶人に珍重される椿。樹齢は四〇〇年以上で、日本最古の胡蝶侘助とされる。
 大徳寺 総見院 墓地 大徳寺 総見院 墓地 

織田一族の墓所は墓地の北側に沿って並んでいる。
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 

左から3番目が信長公で、嫡男の信忠、次男の信雄以下一族が並ぶが、3男で柴田勝家と組んで羽柴秀吉、信雄に対峙した信孝はない。案内にはないが、右端の信義の右に徳川信康の正室だった信長の長女だった徳姫の五輪塔がある。

織田信長公一族の墓

信長公をはじめ一族七基の五輪塔が並ぶ。周りには徳姫(信長公の息女)、濃姫(同正室)、おなべの方(同側室)なども祀られている。
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 

左から織田信雄(次男)、織田信長、織田信忠(嫡男)の五輪塔である。
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 

手前が信長の正室 帰蝶、その左が側室 お鍋の方である。
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 

五輪塔の数が案合図と合わないので確認したら徳姫があった。
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 

徳川家康の嫡男で、信長の命により自害した松平信康の正室である徳姫の五輪塔である。
大徳寺 総見院 織田一族の墓所 大徳寺 総見院 織田一族の墓所 
大徳寺 総見院 本堂での解説を終え、茶室などの見学を始める 大徳寺 総見院 本堂での解説を終え、茶室などの見学を始める 

専門の解説員により有名な織田信長坐像の拝観、総見院の来歴などの講義を受けた後、茶室などの見学を始める。
織田信長坐像は真っ黒な香木でできた座像で、その他のものも含めて撮影厳禁である。

織田信長公木像 重要文化財

本堂に安置されている信長公の木像は、高さ三尺八寸(二五センチ)の座像である。天正十一年の作で、作者は運慶・湛慶の流れをくむ当時の一級仏師、康清。らんらんと輝き、人を射るような眼光は、信長公の面影をよく伝えている。
大徳寺 総見院 本堂から見える鐘楼 大徳寺 総見院 本堂から見える鐘楼 

鐘・鐘楼 重要文化財

ともに創建当時のものである。鐘は信長公の家臣、堀久太郎秀政の寄進によるもの。鐘の銘文は開祖、古渓和尚の作。
大徳寺 総見院 茶室 香雲軒 大徳寺 総見院 茶室 香雲軒 

茶室

北庭には「龐庵」「寿安席」「香雲軒」の茶室三席が並んでいる。「龐庵」の扁額は表千家・而妙斎、「香雲軒」は即中斎の揮毫による。総見院と茶湯とは深い関わりがあり、秀吉公が開いた「大徳寺大茶会」では、総見院方丈で秀吉公が茶を点てた、との記録が残されている。
大徳寺 総見院 茶室 香雲軒 大徳寺 総見院 茶室 香雲軒 
大徳寺 総見院 茶室 香雲軒 大徳寺 総見院 茶室 香雲軒 
大徳寺 総見院 茶室 龐庵 大徳寺 総見院 茶室 龐庵 
大徳寺 総見院 茶室 龐庵 大徳寺 総見院 茶室 龐庵 
大徳寺 総見院 輿 大徳寺 総見院 輿 

輿

 信長公380年忌が行われた、昭和36年、本堂に祀られる信長公木像が本坊から総見院に戻られた時に使用されたものです。
大徳寺 総見院 輿 大徳寺 総見院 輿 
大徳寺 総見院 茶室 寿安席 大徳寺 総見院 茶室 寿安席 

個々の茶室についての説明は専門の解説員からあったような気はするが、覚えていない。個々の茶室には案内板はない。
大徳寺 総見院 茶室 寿安席 大徳寺 総見院 茶室 寿安席 
大徳寺 総見院 茶室 寿安席 大徳寺 総見院 茶室 寿安席 
大徳寺 総見院 輿 大徳寺 総見院 輿 
大徳寺 総見院 掘り抜き井戸 大徳寺 総見院 掘り抜き井戸 

掘り抜き井戸

井筒は、加藤清正が文禄慶長の役の際に船の重りとして日本へ持ち帰った朝鮮石と伝わる。今なおこんとんと湧き出る水は、毎朝のお供えに使用されている。
大徳寺 総見院 掘り抜き井戸 大徳寺 総見院 掘り抜き井戸 
大徳寺 総見院 掘り抜き井戸 大徳寺 総見院 掘り抜き井戸 

解説員から井戸に物を落とすと深くて取り出せないので注意するように、とのコメントがあった。
 大徳寺 総見院 茶筅塚 大徳寺 総見院 茶筅塚 

茶筅塚

お茶を点てるときに用いる茶筅の供養塔。花立ては茶筅の形、お線香立ては抹茶茶碗の形をしている。

解説がないと何が茶筅なのだろうか、と思う。言われて見直すと茶筅そのものである。
大徳寺 総見院 正門・土塀 大徳寺 総見院 正門・土塀 



 
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