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妙心寺 花園会館
昼食の精進料理をとった妙心寺に属するホテルである。朝の勤行など宿坊のようなことはなく、一般のホテルとなっているが会館内は信者の団体が幾組もいた。添乗員として講を取り仕切る寺の僧侶がいる点が普通のホテルと違う。、 |
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妙心寺 花園会館 大本山妙心寺 境内全景
右下角に花園会館があり、その左隣に宗務本所がある。 |
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妙心寺 築地塀の間を北上 |
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妙心寺 築地塀の間を北上 重要文化財 衡梅院 |
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妙心寺 築地塀の間を北上 重要文化財 衡梅院
当院は妙心寺第六世雪江宗深禅師(一四〇八〜一四八六)の塔所である。
禅師は応仁の乱により灰燼に帰した妙心寺の復興に心血を注がれて大本山の基礎を築き再中興開山と仰がれている。又、弟子の景川(龍泉派)悟渓(東海派)持芳(霊雲派)東陽(聖澤派)は夫々四派の開祖となられ、大本山の時運はここに定まったのである。
当院は、細川政元が文明十二年(一四八○)花園天皇離宮阯に開いた。
現本堂は、天秀和尚の代、慶長九年(一六〇四)大坂夏の陣豊臣方七人衆の一人真野蔵人の寄進により再建されたものである。(以下 略) |
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妙心寺 築地塀の間を法堂に向かう |
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妙心寺 築地塀の間を法堂に向かう |
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妙心寺 法堂
横から入ったが、左折して南側に仏殿、山門があり、右折して北方に玄関、大庫裏、玄関の右に大方丈がある。 |
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妙心寺 法堂
法堂(重要文化財)
入母屋造重層本瓦葺の大建築、明暦2年(1656)の建造、住持の演法や重要な儀式の行われるところ。天井には狩野探幽法眼守信の大傑作雲龍の図かある。 |
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妙心寺 玄関を通って雲龍図のある法堂へ |
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妙心寺 玄関を通って雲龍図のある法堂へ
玄関から入って渡り廊下を歩いて南側の法堂に進み、撮影厳禁の雲龍図を見物する。鏡天井には、8年の歳月を費やして描かれた狩野探幽の筆による雲龍図が見られる。
雲龍図は広い法堂の中を一周すると常に顔が正面にあり、場所によって昇り龍になったり、下り龍になったりする。 |
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妙心寺 玄関と法堂の渡り廊下をくぐる |
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妙心寺 鐘楼脇を右折 |
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妙心寺 大庫裏
大庫裏(大庫裡)(重要文化財)
享禄元年(1528)創建。現在の姿は承應2年(1653)に改建された当時の姿である。
庫裏は典座(てんぞ)ともよばれ、僧侶の食生活を支える場所であり、巨大な竈(かまど)厨房を中心に唐破風(からはふ)に桟唐戸(さんからど)の構えとなる庫裏の守護神を安置した韋駄天堂、柴小屋、火番部屋、地蔵菩薩をお祀りした食堂(じきどう)、台所を司る典座寮(中央床下部分は米蔵)、妙心寺の行政機関である紀綱寮(きこうりょう)、検察機関の監寺寮(かんすりょう)、財務機関の副寺寮(ふうすりょう)、事務機関の都寺寮(つうすりょう)の各部屋がある。 |
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妙心寺 大庫裏
大庫裏の中には法堂よりはだいぶ小さいが雲龍図があり、煮炊きをするための煙出しや井戸からの大量の水の注ぎ込み、排出するための仕組みなどの説明があったがよく考えられている。
残念ながら、大庫裏の内部の写真撮影も厳禁である。 |
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妙心寺 大庫裏 |
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妙心寺 法堂横を南下 |
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妙心寺 塔頭 退蔵院
国宝 瓢鮎図、史跡名勝 元信の庭、池泉回遊式庭園 余香苑がある退蔵院に向かう。(次ページに整理) |
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妙心寺 山門
退蔵門の拝観を終えた後、もと来た道を戻り観光バスで東海道新幹線 京都駅 八条口に向かう。 |
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妙心寺 仏殿 |
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妙心寺 仏殿 |
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妙心寺 仏殿周囲の清掃をする奉仕団の人々 |
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妙心寺 法堂 |
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妙心寺 築地塀の間を観光バス駐車場に向かう |
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東海道新幹線 京都駅 八条口
3日前の集合地である八条口で解散する。ツアー客の多くは東京方面に向かうが、乗り継ぎの関係で退蔵院の拝観をせずに帰った人、名古屋から特急で長野に戻る人などもいた、 |