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副都心線 新宿三丁目駅〜花園神社〜新宿五丁目交差点

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副都心線 新宿三丁目駅〜花園神社〜新宿五丁目交差点〜新宿六丁目交差点〜文化センター通り〜抜弁天〜抜弁天通り〜若松町交差点〜新大久保通り 市谷柳町交差点

【撮影記録】
令和元年 7月 13日 曇り 猛烈な蒸し暑さ
10:40〜12:00 5,800歩(概算 3.8km 地図上の距離 2.6km)

7月に入って25℃を超えたことがなく、明日は大雨ということで、17、18日の祇園祭旅行に備えて腰慣らしに歩いた。暑さはそれほどではなかったが、蒸し暑さがひどく、花園神社から文化センターに入ってすぐで汗だくになった。蒸し暑さは体力を奪い、市谷柳町交差点で試衛館跡が地域住民の防犯の柵で近寄れず、どっと疲れが出てここで歩くのを断念した。
明治通り 新宿五丁目交差点 明治通り 新宿五丁目交差点 

明治通りの副都心線 新宿三丁目駅を出るとすぐ右手には新宿五丁目交差点が見える。
 明治通り 花園神社 大鳥居 明治通り 花園神社 大鳥居 

新宿三丁目駅を出て右折すると花園神社の大鳥居がある。

普通は花園神社と言われるが、正式には花園稲荷神社である。新宿五丁目交差点角にあり、明治通りと靖国通りとに面している。
花園神社は大和国吉野山より勧請した稲荷社が始まりで、甲州街道の宿場・内藤新宿の鎮守である。
この碑の左側に「皇太子降誕記念」と刻まれ、海軍大将加藤寛治書となっている。言うまでもなく、現上皇の降誕記念である。
 明治通り 花園神社 大鳥居 明治通り 花園神社 大鳥居 
明治通り 花園神社 大鳥居から参道を西進 明治通り 花園神社 大鳥居から参道を西進 
花園神社 野外特設ステージ 花園神社 野外特設ステージ 

拝殿手前の参道脇にはかつて唐十郎特設紅テントがあり、その公演は花園神社の名物でもあった。

詳細は分からないが、以前は唐十郎の常設だった気がするが、今は7月中旬の19時開演の椿組公演である。
花園神社 野外特設ステージ 花園神社 野外特設ステージ 

赤鳥居は威徳稲荷神社の鳥居である。

威徳稲荷神社

戦災で資料が焼失したため詳細は不明ですが、昭和3年4月頃に建てられたと伝えられ、女性の参拝者に人気の高い神社です。奉納された赤い鳥居が並び、異界へのトンネルに足を踏み入れたような不思議な感覚にとらわれます。
花園神社 拝殿 花園神社 拝殿 

当社は創建以来、幾度も大きな火災に見舞われ、その度に社殿を再建してきました。第二次大戦の戦災後、社殿が老朽化したため、昭和40年6月に鉄筋コンクリート造りの社殿、社務所が完成し、現在に至っています。
 花園神社 山車庫、手水舎 花園神社 山車庫、手水舎 

山車庫

花園神社顧問 島田米蔵氏が昭和60年3月3日に百歳というお目でたい日を迎えた際に、記念として山車と山車庫が奉納されました。この山車は5月の例大祭に島田囃子の子供を乗せて宮神輿を先導します。
花園神社 靖国通りへの参道 花園神社 靖国通りへの参道 
花園神社 靖国通りへの参道 花園神社 靖国通りへの参道 
 靖国通り 花園神社 鳥居 靖国通り 花園神社 鳥居 
靖国通り 花園神社 鳥居前 新宿区有形文化財 唐獅子 靖国通り 花園神社 鳥居前 新宿区有形文化財 唐獅子 

花園神社の唐獅子像

 文政四年(一八ニ一)に造立された雌雄一対の銅造の唐獅子像である。
 内藤新宿の氏子たちにより奉納されたもので、台座には発願者・援助者・世話人等の名が刻まれている。
 像高七十五センチ、台座高一三七センチ。彫工佐脇主馬の製作した原型により、鋳工村田整a(初代)が鋳造したもので、注連縄が浮彫された台座は石工本橋吉平衛の手になるものである。
 頭部は四つの部分(上頭部・顏・後頭部・たてがみ)に分けて鋳造し、身体も胴から後足、前足、尾の三つの部分をそれぞれ左右に分けて鋳造したものを接合して製作されている。
靖国通り 花園神社 鳥居前 新宿区有形文化財 唐獅子 靖国通り 花園神社 鳥居前 新宿区有形文化財 唐獅子 
靖国通り 花園神社 鳥居前 江戸・東京の農業 内藤トウガラシとカボチャ 靖国通り 花園神社 鳥居前 江戸・東京の農業 内藤トウガラシとカボチャ 

江戸・東京の農業 内藤トウガラシとカボチャ
 新宿御苑は、江戸時代高遠藩主内藤家の下屋敷でした。当時、武家では屋敷内の畑で、野菜などを栽培し自給する習わしが一般的で、内藤家でも野菜を栽培していましたが、中でも軽くて肥沃な土に適したトウガラシがよくでき、内藤トウガラシと呼ばれて評判となり、新宿付近で盛んに作られるようになりました。
 「新編武蔵風土記稿」(1828)には、「四ツ谷内藤宿及び其辺の村々にて作る、世に内藤蕃椒と呼べり」とあり、当時は新宿周辺から大久保にかけての畑は、トウガラシで真っ赤になるほどであったと言われています。
 このトウガラシは八房といって、実が房のように集まって付き、しかも上を向いて葉の上に出るような形になるため、熟すと畑一面が真っ赤に見えたのです。
 保存のできる調味食品として、庶民に喜ばれたが、明治に入り都市化により栽培も激減し、産地も西の方に移っていきました。
 この地域ではカボチャの栽培も盛んで、「内藤カボチャ」とか「淀橋カボチヤ」ともいわれて、この地域が産地でした。
靖国通り 花園神社 鳥居前 花園神社由緒記 靖国通り 花園神社 鳥居前 花園神社由緒記 

花園神社由緒記

 祭神 倉稲魂神 日本武尊 受持神

 由緒 花園神社は古来新宿総鎮守として内藤新宿に於ける最も重要な位置を占め来たった神社である。徳川氏武蔵国入国以前の御鎮座にして大和国吉野山より御勧請せられたと伝えられる。
寛永年中以前の社地は現在の株式会社伊勢丹の地域にあり、東西六十五間、南北七十五間に亘った神域であった。朝倉筑後守此の地に下屋敷を拝領されるに及び、神社をも下屋敷の内に囲い込まれたのでその由を御訴えに及び現在の社地を代地に拝領したと伝えられる。
 靖国通り 花園神社 鳥居 靖国通り 花園神社 鳥居 
靖国通り 新宿五丁目交差点で左折、明治通りへ 靖国通り 新宿五丁目交差点で左折、明治通りへ 
明治通り 花園神社 大鳥居前を北上 明治通り 花園神社 大鳥居前を北上 

花園神社の大鳥居に戻り、北上する。



 
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