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日比谷通り 日比谷交差点
日比谷交差点〜和田倉門交差点〜大手町交差点〜皇居東御苑(大手門〜天守台〜北桔橋門)〜北の丸公園〜千鳥ヶ淵〜半蔵門駅
【撮影記録】
平成22年 8月 15日 晴れ
10:10〜11:55 7,000歩(休憩 15分)(概算 4.9km)
35度を越す猛暑日で、2時間は持つと称するカチカチに冷凍された首巻きベルトは1時間も持たず、ペットボトルはアッと言う間に2本が開いた。今流行の熱中症計は10分ごとに厳重警戒のアラームが鳴り続け、最後は危険となった。
予定では東御苑を出て、北の丸公園に入り、戦没者追悼式が行われている武道館、靖国神社、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を経て、日比谷交差点に戻るはずだった。しかし、北の丸公園は関係者以外は立入禁止で、代官町通りから見える千鳥ヶ淵戦没者墓苑も、国会議員などの参拝に備え警官が立ち並び、これ以上の歩きは断念した。5年前には前日だが自由に歩けた。 |
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日比谷通り 日比谷交差点から見た日比谷濠 |
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日比谷通り 日比谷交差点 熱中症計は厳重警戒
現在時刻は10:15で、熱中症計は、温度(31.7℃)と湿度(71%)の他に、横の通風孔の状況で危険度を表示している。危険度の算定要領は分からないが、温度は部屋の温度計とほぼ合っており、精度は高いと思われる。 |
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日比谷通り 第一生命 DNタワー21
GHQ(連合国軍総司令部)があった場所としても知られている。 |
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日比谷通り 第一生命、帝国劇場
「昨日は帝劇、今日は三越」と言われた帝劇である。 |
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日比谷通り 馬場先門交差点で鍛冶橋通りを渡る
交差点を渡った角には重要文化財の明治生命館があり、後方には明治安田生命ビルが聳え立つ。 |
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日比谷通り 馬場先門交差点 明治生命館、明治安田生命ビル |
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日比谷通り 馬場先濠沿いに北上 |
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日比谷通り 和田倉門交差点で行幸通りを渡る |
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日比谷通り 和田倉門交差点 改修中の東京駅
東京駅は工事の覆いにすっぽりと囲まれている。
さすがにお盆の猛暑日で、歩行者は中国人と、白人の外人ぐらいである。たまに見かける日本人は、バックバッグを背負い、カメラを持って一人で歩く中高年男性だけである。 |
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日比谷通り 和田倉濠沿いに北上
橋は和田倉橋で、渡ると和田倉噴水公園である。
近代的な技術と伝統的な美観が融合した和田倉噴水施設は、昭和36年の建設以来、国民公園皇居外苑の主要施設として広く国民に親しまれてきましたが、このたび「継続性と新たな発展」を主題に、和田倉地区が水と緑で構成された表情豊かで風格のある空間として今後も末永く国民に親しまれるよう、新たな整備を行いました。
環境庁 平成7年6月竣工 |
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日比谷通り 和田倉橋、和田倉門跡
この橋を、和田倉橋といいます。ここには、かつて江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つ和田倉門がありました。橋を渡った皇居外苑側には枡形石垣があり、橋と一体で門を橋成していました。
慶長七年(一六〇二)頃といわれる「別本慶長江戸図」には橋が描かれ、「蔵の御門と云、士衆通行の橋」と記述があります。また、「御府内備考」には、橋の由来が「慶長十二年の頃の図に、こゝに和田蔵と称せし大なる御蔵二棟を図せり。是御門の名の起る処なり。(後略)」と記され、蔵があったため門が名付けられたとしています。なお、徳川家康が江戸に入った時、この辺は和田倉という村落であったという説もあります。 |
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日比谷通り 東京銀行協会ビル
和田倉橋の向かいにあり、大正5年に建てられたレンガ造り2階建てのビルの外壁2面を残している。 |
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日比谷通り 大手町交差点で左折、永代通りへ |
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日比谷通り 大手町交差点で左折、永代通りへ |