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動物園通り 上野公園前交差点で左折、中央通りへ |
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中央通り 上野公園山下バス停 夢の下町バス
都営バスであるが、観光バスとして浅草、東京スカイツリー、錦糸町を結ぶ急行バスの夢の下町バスである。料金は普通のバスと同じ200円と安く、人気のバスである。 |
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中央通り 上野駅 不忍口前 UENO3153(旧聚楽台)
かつての聚楽台に比べると少しはきれいになったかな、とも思うが、デザインが垢抜けないところは上野らしい。 |
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中央通り 上野駅 不忍口 |
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中央通り 上野駅 広小路口 |
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中央通り 上野駅 広小路口 ジュエリーブリッジ
ジュエリーブリッジは、昭和通りを横断し、上野駅前広場の上に造られたコンコースである。なぜジュエリー(宝石)なのかは分からない。 |
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中央通り 上野駅 正面玄関口 |
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上野駅 中央改札口 羽子板市の大幕 |
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上野駅 中央改札口 大熊手 |
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中央通り 上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ |
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中央通り 上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ |
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浅草通り 下谷神社
下谷神社は、浅草通り沿いに立つ赤い大鳥居が目印。下谷の鎮守として広く信仰を集め、「稲荷町」の地名の由来ともなった。社殿の天井に描かれた「板絵着色雲竜図」は横山大観の作で、湧き立つ雲の中に突如現れる竜を描いた迫力あふれる水墨画だ。
境内には寄席発祥之地の碑、正岡子規 句碑がある。 |
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浅草通り 講道館柔道発祥の地(永昌寺)
明治十五年(一八八二)、講道館柔道の創始者嘉納治五郎(一八六〇〜一九三八)が友人や門弟とともに稽古をはじめたところが、当下谷永昌寺の書院であった。
これが今日、世界各国に普及し国際的な広がりを持つ講道館柔道の発祥とされている。道場となった書院の広さは十二畳、初年の門弟は九人であった。 同年夏、当時の住職朝舜法(一八三七〜一九一四)の協力を得て、玄関脇の空地に、十二畳のバラック建て道場を新築したが、翌一六年(一八八三)神田に移った。
永昌寺は、浄土宗で永禄元年(一五五八)下谷長者町に創建、寛永十四年(一六三七)現在地に移転した。大正十二年の大震災により当時の建物は焼失している。
境内の「講道館柔道発祥之地」と刻む自然石の記念碑は、昭和四十三年十月、嘉納治五郎没後三十周年を記念し、弘道館が建立した。 |
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浅草通り 講道館柔道発祥の地(永昌寺) |
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清洲橋通り 講道館柔道発祥の地(永昌寺)
永昌寺は浅草通りと清洲橋交差点とが交差する稲荷町交差点にあり、正門は清洲橋通りにある。そのため、浅草通りから見ると古ぼけた小寺に見える。 |
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浅草通り 稲荷町交差点で清洲橋通りを渡る
交差点手前角に銀座線稲荷町駅がある。銀座線は戦前に開通した古い路線で、浅草方面と渋谷方面とで乗り場が違い、乗り換えは地上に出て浅草通りを横断しなければならない。 |
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浅草通り 稲荷町 仏具店街
日焼けを防ぐため、入り口は全て北側にある。同じ理由で神田神保町の古本店街も入り口は北側となる。 |
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浅草通り 菊屋橋交差点でかっぱ橋通りを渡る
左折するとかっぱ橋道具街である。 |
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浅草通り 菊屋橋交差点 かっぱ橋道具街 |
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浅草通り 菊屋橋交差点 かっぱ橋道具街 |
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浅草通り 寿四丁目交差点で左折、国際通りへ
交差点角に銀座線の田原町駅がある。 |
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国際通り 雷門一丁目交差点で右折、雷門通りへ |
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国際通り 雷門一丁目交差点で見た東京スカイツリー
かつてはこの交差点から東京スカイツリーを撮る人が多かった建設時の光景が懐かしい。 |
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雷門通りを東進 |
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雷門通り 浅草一丁目交差点 |