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高松城(玉藻城)(内苑御庭〜披雲閣〜天守閣跡)

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高松城(玉藻城) 内苑御庭 高松城(玉藻城) 内苑御庭 

月見櫓から戻り、内苑御庭に入る。

 高松城は別名玉藻城とも呼ばれていますが、これは万葉集で柿本人麿が詠んだ「玉藻よし」という讃岐国の枕ことばをとって、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるといわれています。今は、その城跡の一部の主要部分のみが玉藻公園となってその名を伝えています。
 生駒親正が築城した当時は、このあたりには壮大なお庭が広がっていだといわれます。松平氏の時代になって第2代藩主頼常公の頃に、藩主の住居であり政庁である披雲閣と呼ばれる御殿が建てられました。現在の庭は、藩政時代のものをもとに大正5年(1916年)頃につくられた枯山水の庭です。庭園内には空川が北東から南西に流れ、三つの築山がつらなり、松を中心にウバメガシ、サツキ、梅、そてつなどが茂っています。木々の緑が櫓の白壁に映え、大石灯ろうが木々の間から見える風情は昔の大名の優雅な生活を偲ばせます。
 また、築山のほとりの石組みは山石・川石・沢石などをうまく組合せ、石の稜線を生かして三段にも組まれています。ほかにも、高さ2メートル、重量11トン余りといわれる大手水鉢や大きな飛石、一つの石から削りだされた精巧な石橋等があり、栗林公園とは異なった風情で、見る人につきせぬ興味を呼び起こします。
 また、苑内は大正11年(1922年)に、当峙、摂政だった昭和天皇陛下がお手植えになられた松があり、その隣には当時陛下と婚約中だった良子皇后様が大正12年(1923年)にお手植えになられた松があります。
高松城(玉藻城) 内苑御庭 熱中症計は警戒 高松城(玉藻城) 内苑御庭 熱中症計は警戒 

現在時刻は9:55で、温度34.3℃、湿度は56%、熱中症計は警戒である。

昨夜の南内町演舞場での蒸し暑さに比べたら増しとは言うものの、厳しい暑さである。
高松城(玉藻城) 内苑御庭 高松城(玉藻城) 内苑御庭 
高松城(玉藻城) 内苑御庭 昭和天皇・皇后御手植松 高松城(玉藻城) 内苑御庭 昭和天皇・皇后御手植松 
高松城(玉藻城) 内苑御庭 昭和天皇・皇后御手植松 高松城(玉藻城) 内苑御庭 昭和天皇・皇后御手植松 

御手植えの松樹について謹んで碑に記す。
松樹2株は東西に相対している。

東の方は今上(現在の天皇、昭和天皇)が植えられたもの。大正十一年、皇太子・摂政宮であった時に讃岐で陸軍大演習が行われ、披雲閣が大本営として使用され、摂政宮が3日滞在された。頼寿は感激し、その恩栄を記すため、樹を植えていただくことをお願いした。

西の方は皇后(昭和天皇の皇后)が結婚される前に生家(久邇宮家)の父に従って讃岐に来られた際披雲閣に滞在された(大正十二年)。その時に小さな松を植えられた。

松樹が植えられてから十年以上も過ぎ、樹はともに茂っているが、この由緒について久しく何も記していないことは恐れ多い。よって、石の柵を設け、鉄の鎖を施して松樹が汚されることを防ぎ、子孫にまで永くこの恩栄を伝え、その恩に報いようとするものである。また、昔のことを忘れないように鎖は古い城に用いられていた大きな釘を使って作り、中央の柱をつなぐ。

昭和八年七月
正三位勲三等伯爵 松平頼寿 記す
高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 

 松平藩時代にも、この地に披雲閣と呼ばれる広大な建物(現在の披雲閣の約二倍)があり、藩の政庁及び藩主の住居として使われていましたが、明治5年(1872年)に老朽化のため取り壊されました。その後、松平家第12代当主で貴族院議長も務められた松平頼寿氏により、3年の歳月と当時のお金で15万余円の巨費を投じて現在の披雲閣が大正6年(1917年)に完成しました。建坪は約2000平方メートル(600坪余)でしたが、一部取り壊しや移築により、現在は約1887平方メートル(570坪余)です。この豪壮な和風建物には114畳敷の大書院をはじめ、槇の間・蘇鉄の間などの雅趣を生かした各部屋があり、波の間には昭和天皇、皇后両陛下がご宿泊になられたこともあります。
 昭和29年(1954年)に城跡とともに高松市に譲渡されて、現在は会議・茶会・生花展などの会場として利用され、広く市民に親しまれています。
高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 
高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 
高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 
高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 高松城(玉藻城) 内苑御庭 披雲閣 
高松城(玉藻城)  内苑御庭 陳列館 高松城(玉藻城)  内苑御庭 陳列館 

披雲閣玄関の右手にある。
高松城(玉藻城) 桜御門跡 高松城(玉藻城) 桜御門跡 
高松城(玉藻城) 桜の馬場 高松城(玉藻城) 桜の馬場 
高松城(玉藻城) 天守台石垣解体修理工事 高松城(玉藻城) 天守台石垣解体修理工事 

 高松城は、国の史跡に指定されている貴重な文化財です。本工事は、倒壊の危険がある天守台の石垣を解体修理する工事です。
 解体に際しては、石垣を元の位置に復元できるように、一石ごとに番号を付けて取り外すとともに、石材や盛土の調査を行い、傷みの原因を解明します。積み直しに際しては、石垣が造られた当時の状態に復元しますが、傷みの原因を取り除くことにより、より安全な石垣となります。
 貴重な文化財を後世に伝えるための仕事です。工事期間中は、何かとご迷惑をおかけしますが、ご協力ください。
高松城(玉藻城) 天守台石垣解体修理工事 高松城(玉藻城) 天守台石垣解体修理工事 
高松城(玉藻城) 二の丸跡と鞘橋 高松城(玉藻城) 二の丸跡と鞘橋 

二の丸跡と天守台とを結ぶ鞘橋は途切れている。
高松城(玉藻城) 西門 高松城(玉藻城) 西門 
高松城(玉藻城) 西門 廉櫓跡 高松城(玉藻城) 西門 廉櫓跡 



 
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