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JR 倉敷駅 北口
かつてあったチボリ公園開園に合わせ、その雰囲気にふさわしいデザインである。 |
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JR 倉敷駅 北口 チボリ公園跡
バブル時代に構想が出来、紆余曲折を経てクラボウ倉敷工場跡地にデンマークのチボリ公園を誘致、平成9年に開園した。
開園直後は300万人の来場者があったが、4年後の平成12年に180万人、平成17年に90万人となって平成20年に閉園となった。現在アウトレットモールなどの商業施設の建設が行われている。
開園して間もない頃、出張時に訪れたが、TDLはともかく佐世保のハウステンボスに比べても格段に狭く、アトラクションも少なくてすぐに出ざるを得なかった。 |
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JR 倉敷駅 コンコース |
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JR 倉敷駅 南口
いわば倉敷駅の正面口である。 |
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JR 倉敷駅 南口風景
15年ぶりに降りた倉敷駅はかつての賑わいはどこへやら、すっかり寂れた感じであった。
左にあった三越は撤退し、岡山の有力百貨店の天満屋となっていた。 |
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JR 倉敷駅 南口風景
お盆ということもあり、丁度岡山県代表の関西高校が試合をしているせいか、閑散としている。 |
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JR 倉敷駅 南口風景
右のホテルもアパホテル倉敷駅前に替わっていた。 |
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JR 倉敷駅 南口風景
駅ビルのJR運営のホテル倉敷は昨年11月30日に閉鎖されていた。駅前では一番のホテルで、出張時にはよく利用したが、バブルが弾けた後、水島工業地帯の大企業の不振が響いているのは間違いない。
昔岡山と倉敷は人口が40万で、合併して100万都市を意図する岡山に対し、水島工業地帯を持ち、歳入が潤沢だった倉敷が拒否していた。一説によれば、備「前」の岡山は外様大名で、備「中」の倉敷は天領である、合併などありえない、と強弁したとも言われる。岡山と倉敷の駅前風景を見ると隔世の感を禁じ得ない。 |
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JR 倉敷駅 倉敷駅前交差点 |
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JR 倉敷駅 南口風景
駅の正面にホテル倉敷が聳え立ち、右に天満屋デパート、左にアパホテルである。 |
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倉敷駅前交差点 案内図
倉敷駅から右角上に向かう倉敷中央通りを進むと美観地区であるが、15年ぶりに駅前商店街を通って行くことにした。 |
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倉敷駅前交差点 中国銀行角で左折、倉敷センター街へ
直進すると美観地区に向かう倉敷中央通りである。 |
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倉敷センター街
これがあの賑わっていたセンター街か、と愕然とした。奥にかつては天満屋があったが、今は駅前に移転している。
この寂れ方は水島工業地帯の大企業の不振もあるが、駅の北に平成11年にできた郊外型大型ショッピングセンターのイオンモール倉敷の影響とも言われる。
しかし、美観地区の帰りにこれらの商店街で食事をしたり、土産物を買う人にとっては立ち寄る気にもなれない。 |
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倉敷センター街 ビオス憩いの広場前で右折
今は商店街の事務所のようだが、好立地であり、何があったかは忘れているがそれなりの店だったように思う。 |
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倉敷センター街 ビオス憩いの広場前で右折 |
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倉敷センター街 突き当たりで左折、えびす通商店街へ |
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えびす通商店街を南下
狭くて歩くのも大変だったえびす通商店街もガラガラである。新入社員時代に本やレコードを買ったり、妻や幼児だった長男と食事をするなどよく利用した商店街だったが、その面影はまるで無い。 |
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えびす通商店街を南下
倉敷で一番古い備前焼の店で、新入社員でも買える程度の酒器や花瓶をよく買った店である。入ったが、ありふれたものばかりで買う気にならなかった。
店の先に阿智神社の階段が見える。 |
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倉敷総鎮守 阿智神社
倉敷総鎮守 阿智神社略記
御祭神 主祭神 宗像三女神
相殿神 応神天皇
創祀は応神朝に遡りまだ当地が海島であった頃、阿智使主の一族が半島より帰化し周辺に住みついたと伝えられ、水夫漁民の祖神、海上安全の守護神として祀られる。
周囲は阿智潟と呼ばれる海域であったが、江戸初期には陸化、倉敷代官所が置かれ旧倉敷村の氏神として歴代代官の崇敬厚く石灯籠はじめ数多くの寄進を受ける。
当時妙見宮(明剣宮)と称され、観龍寺が別当を務めていたが、明治二年神仏分離令に伴い現社号となる。 |
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倉敷総鎮守 阿智神社
毎年職場での花見の宴を張った有名な神社だが、結構長い坂道を登るので、前日の金刀比羅宮の階段の疲れもあり、素通りすることとした。
天気は曇り空となってきたが、蒸し暑さは変わらない。 |
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倉敷総鎮守 阿智神社 |