|
東海道(国道1号)を東進 城山公園前交差点
旧伊藤博文邸(滄浪閣)まで1km余りなので歩いていくことにした。逆に旧伊藤博文邸から城山公園に歩いてくるグループもいた。 |
|
東海道(国道1号)を東進 城山公園前バス停 |
|
東海道(国道1号)を東進 西小磯交差点 |
|
東海道(国道1号)を東進 白岩大門交差点 |
|
東海道(国道1号) 明治記念大磯庭園 旧伊藤博文邸(滄浪閣)
明治記念大磯庭園は事前に予約しておけばガイド付きの見物ができる。
今回は予約ができていなかったため、隣接する資料館を見物後、旧陸奥宗光邸、旧大隈重信邸の外観見物に向かった。 |
|
東海道(国道1号) 明治記念大磯庭園 資料館
明治の歩みをつなぐ、つたえる
平成三十年(二〇一八)は、明治元年(一八六八)から満百五十年の年にあたります。
明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、明治期において多岐にわたる近代化への取組を行い、国の基本的な形を築き上げていきました。
内閣制度の導入、大日本帝国憲法の制定、立憲政治・議会政治の導入、鉄道の開業や郵便制度の施工など技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立といった教育の充実を始め、多くの取り組みが進められました。
また若者や女性などが海外に留学して知識を吸収し、外国人から学んだ知識を活かしつつ、単なる西洋の真似でない、日本の良さや伝統を活かした技術や文化も生み出されました。
政府では、「明冶百五十年」を迎える平成三十年(二○一八)を節目として、改めて明治期を振り返り、将来につなげていくために、地方公共団体や民間企業とも一緒になって様々な取組をしています、
ここ、大磯では明冶期の立憲政治の確立等に関すろ歴史的遺産の保存及び活用を図るため、旧伊藤博文邸「滄浪閣」を中心とする建物群及び緑地を「明治記念大磯庭園」として整備します。本年は明治改元から満一五〇年にあたることを記念し、一部の区域を公開します。 |
|
東海道(国道1号) 明治記念大磯庭園 資料館
明治政府の要人集う 明治三十年、別荘建設ラッシュ始まる
明治三十年、別荘建設ラッシュ始まる
「医療としての海水浴」を唱えた松本順の薦めで、第三代内閣総理大臣の山県有朋らが大磯に別荘を構えました。
明治三十年代に入ると明治政府の要人や著名人が大磯に別荘を建設しました。
明治二十九年(一八九六)に伊藤博文が滄浪閣を構えて以来、明治二十二年には二十一戸ほどしかなかった別荘は、明治四十年(一九〇七)には百戸を超え、その後、さらに増え続けました。
歴代内閣総理大臣、大磯に集う
歴代の内閣総理大臣だけでも八名が大磯に別荘を持っていました。
【大磯に別荘を持った総理大臣】
伊藤博文 初代、第五代、七代、十代内閣
山県有朋 第三代、九代内閣
大隈重信 第八代、十七代内閣
西園寺公望 第十二代、十四代内閣
寺内正毅 第十八代内閣
原敬 第十九代内閣
加藤嘉明 第二十四代内閣
吉田茂 第四十五代、四十八代、四十九代、五十代、五十一代内閣 |
|
東海道(国道1号)を東進 明治記念大磯庭園 旧大隈重信邸へ |
|
東海道(国道1号)を東進 明治記念大磯庭園 旧大隈重信邸へ |
|
明治記念大磯庭園 旧陸奥宗光邸、大隈重信邸入り口
旧陸奥宗光邸と大隈重信邸は庭がつながっており、塀や壁などの仕切りがない。 |
|
明治記念大磯庭園 旧陸奥宗光邸、大隈重信邸入り口
このイベントを企画したKSN(川崎シニアネット)の幹事の指示で左折、旧陸奥宗光邸から見物する。 |