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本郷通り 妙義坂を上る 妙義坂子育地蔵尊
この地蔵尊は、日光御成道(本郷通り)の妙義坂の途中に祀られています。地蔵尊の由来は古文書に次のように記されています。 「寛文八戌申年十月、旧邸ノ南丘陵ノ地へ間ロニ闇、奥行三間ノ堂宇ヲ建設シ、地蔵尊像(石造丈二尺三寸)一体ヲ造立、同堂二安置シ子孫繁栄ヲ誓願ス 爾来有志ノ老若男女、毎月此堂二集シ念仏供養ヲ営ム 此地ハ今井家始祖ノ墳墓ノ旧跡地卜云傅 又堂宇ノ西拾間余地小丘アリテ三ッ塚ト称スル塚アリ是ハ南北朝ノ官兵戦死者及び新田、今井ノ両家ノ諸士戦死ヲ合祀セシ地ト云傅」 これによれば、寛文八年(一六六八)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈 願して地蔵尊とお堂を建立し、以来地元有志によって毎月念仏供養が営まれたことがわかります。 戦前は七十坪ほどの境内に多くの供養石像が並列し、節分には豆まきが盛大に行われ、二十四日の縁日には夜店が立ち並び、大変賑わいました。昭和二十年四月に大空襲でお堂が焼失し、戦後ここに駒込診療所が開設し、その一角に祀られました。現在は城官寺(北区上中里)の境外地蔵尊として祀られています。 地蔵堂内に、おかっぱ頭のセーラー服姿の童女が片手に宝珠を持ち、もう一人は錫杖を持って手をっないでいる供養碑があります。これは昭和八年にこの近くで交通事故にあって亡くなった十一歳の仲良しの少女を供養するために建てられたもので、以後子育地蔵尊とともに地域の安全を見守り続けています。 |
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本郷通り 妙義坂を上る 妙義坂子育地蔵尊 |
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本郷通り 妙義坂を上る
坂の西方駒込三丁目ある妙義神社が坂名の由来であり、「大日本名所図会」に「妙義神社は駒込妙義坂下にあり、道路の西に、「これよりみょうぎみち、やしろまで半丁」と記せし石標を建つ。(中略)当社の祭神は日本武尊にして、左に高産霊神、右に神功皇后、応仁天皇を奉祀す。社伝に『日本武尊東征の際此地その陣営となりたれば後に一社を建て白鳥社と号す』」と記されている。 |
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本郷通り JR駒込駅 北口
妙義坂を上りきった所にJRの駒込駅がある。 |
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本郷通り JR駒込駅 北口 旧駒込橋親柱 |
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本郷通り JR駒込駅 北口 染井吉野桜記念公園
旧駒込橋親柱の東側の裏手にある小公園である。 |
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本郷通り JR駒込駅 北口 染井吉野桜記念公園 「染井吉野櫻発祥之里 駒込の碑」
駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、巣鴨とともに花卉・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代以後数多くの優れた園芸品種が誕生したが、なかでも染井吉野は、当地の地名から名付けられ、世界を代表する桜の品種となった。
左の絵は、植木屋の第一人者、染井の伊藤伊兵衛の庭で大勢の人が花を愛でている様子である。 |
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本郷通り JR駒込駅 北口 染井吉野桜記念公園 「染井吉野櫻発祥之里 駒込の碑」 |
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本郷通り JR駒込駅 北口 染井吉野桜記念公園 |
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本郷通り JR駒込駅 北口 染井吉野桜記念公園 |
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本郷通り JR駒込駅 北口 染井吉野桜記念公園 |
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本郷通り JR駒込駅 北口 |
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本郷通り JR跨線橋 駒込橋 |
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本郷通り JR駒込駅 南口
木によってばらつきがあるものの南口前のバスターミナルの桜はほぼ満開である。
北区のコミュニティバスのKバスの王子・駒込ルートは、ここで折り返して王子駅に戻る。もう一つの田端循環ルートは南口が起点、終点となる。 |
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本郷通り 駒込橋交差点 六義園 染井門
六義園は別ページにまとめた。
六義園の染井門が開いているのは桜まつりなど特別な時だけで、常時閉門である。そのため、ここから本郷通りを南下して約400m先にある正門に向かわざるをえない。
六義園の見物を終え染井門から出る人と、入場券を持たず購入して入園する人との整理をするため入場制限が行われ、列ができている。今回は列が短いので並んだが、数年前に来た時は東西の煉瓦塀に長い列ができており、入園を断念したこともある。 |
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六義園 名物 大枝垂れ桜
六義園名物の大枝垂れ桜は人気で、大勢の人が写真を撮っている。
外国人、特に中国人が枝を折ったり、花に触ったり、自撮り棒を突き出すなどのマナー違反が酷いので、数人の警備員が立って日本語、英語、中国語の注意書きを記したボードを持って警備している。 |
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正門からファミリーマート角で左折、本郷通りを北上
ファミリーマートの前に六義園入口の木柱があるが、自転車が停められて見えないことが多い。 |
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本郷通りを北上
文京区のコミュニティバスの「びーぐる」も六義園入口という停留所がある。 |
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本郷通りを北上 |
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本郷通り 駒込橋交差点 南北線 駒込駅
駒込橋交差点の左には六義園の染井門があるが、桜まつりなどごく僅かな時期しか開門しない。 |