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三渓園(正門〜大池〜鶴翔閣)

【関連サイト】   東京、横浜の紅葉・黄葉名所巡りH2311(秋の三渓園散策)H231121
晩秋の横浜 三渓園、本牧山頂公園、港の見える丘公園散策H221124(晩秋の三渓園)

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三渓園 正門 三渓園 正門 

三渓園の正門〜大池〜鶴翔閣〜白雲邸(特別参観)〜臨春閣〜内苑 芝生広場〜外苑 茶屋〜観心橋〜正門
【撮影記録】
平成29年 4月 5日 晴れ
13:20〜16:00 3,200歩(概算 2.1km)

川崎稲門会が春、秋に行う散策会で、昨秋の鶴見總持寺、鶴見線の乗車見学に続き2回目の参加である。桜木町駅で集合し、横浜駅始発のバスに乗って40分、三渓園に着く。桜見物の乗客でバスは大混雑の上、激しく揺れるため、立ちっぱなしなので腰に負担がかかり三渓園に着いた時点で腰の痛みがきつかった。そのため、特別に用意されたガイドによる特別参観や秘話を聞きながらのツアーも臨春閣までは歩けたが、その後山に登るコースは断念、戻ってからの再参加となった。
三渓園は何回も見物しているが秋ばかりで、桜の季節にはこれほど賑わうとは知らなかった。特別参観や秘話も興味深いもので、稲門会のイベントならでは、のものだった。
三渓園 案内図 三渓園 案内図 

上が南で、現在地は右下の赤印である。

三溪園について

 三溪園は、明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなしだ横浜の実業家・原三溪(本名富太郎)が、東京湾に面したか”三之谷”と呼ばれる谷あいの地に造りあげだ、広さ約175,000u(53,000
坪)の日本庭園です。明治39(1906)年に一般に公開されだ外苑と、三溪が私庭としていだ内苑の2つの庭園からなり、京都や鎌倉などから集められだ17棟の歴史的建造物と四季折々の自然とがみごとに調和した景観が見どころとなっています。
 三溪は、芸術家や文学者などの文化人たちと広く交流しだことでも知られ、三溪園は美術・文学・茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもあります。学術上・芸術上、そして観賞上優れていることから、平成19(2007)年には国の名勝に指定され、庭園全域も文化財として位置づけられました。
三渓園 正門から見た大池 三渓園 正門から見た大池 

大池を中心に桜が点在し、正門付近には待ち合わせをするグループで混雑している。ボランティアのガイドが園内の案内を呼びかけていた。
三渓園 大池沿いに南下 三渓園 大池沿いに南下 

正門から反時計回りに大池と蓮池の間の遊歩道を南下する。
三渓園 大池沿いに南下 蓮池 三渓園 大池沿いに南下 蓮池 

4月の始めであり、蓮池は枯れた蓮で覆われている。
三渓園 鶴翔閣(旧原家住宅・横浜市指定有形文化財) 三渓園 鶴翔閣(旧原家住宅・横浜市指定有形文化財) 

鶴翔閣の前で稲門会から依頼したガイドと待ち合わせし、三渓園、原三渓の略史、鶴翔閣についての説明を受けた。

原三渓は早稲田大学の政経卒業で、横浜の豪商であった原前三郎の跡を継ぎ、絹の貿易で財を築き富岡製糸所を傘下に収めたこともあり、昭和14年に死去した。
ガイドは昭和33年から職に就いたとのことで、原三渓との直接の接触はないが、熱心に様々なことを話してくれただけでなく、普段は立ち入りができない鶴翔閣の庭や白雲邸の室内見物も行ってくれた。因みに三渓だけでなく、二人の息子も早稲田出身で、ガイドが早稲田を度々讃えるので幹事からガイドも早稲田かと聞いたところ、早稲田でも慶応でもないとのことだった。
三渓園 鶴翔閣(旧原家住宅・横浜市指定有形文化財) 三渓園 鶴翔閣(旧原家住宅・横浜市指定有形文化財) 

 鶴翔閣(旧原家住宅)は原富太郎(三渓)が明治30年代に自邸として建てた住宅で、楽室棟・茶の間棟・書斎棟・客間棟・仏間棟・倉などの建物群で構成されています。この建物は居住用と来客用の機能をあわせ持ち、横浜市域の近代和風建築を代表すると共に、横山大観ら日本美術院の作家たちがたびたび出入りし、近代の日本画壇に大きく貫献した記念物としての価値も認められます。
三渓園 鶴翔閣前の大池風景 三渓園 鶴翔閣前の大池風景 

普段は立入禁止の大池周辺の芝生部分は臨時の特別立ち入り許可の札が立てられ、多くの家族やグループが入って向かいの桜を楽しんでいた。ただし、三渓園は飲食禁止であり、花の宴は出来ない。 
三渓園 睡蓮池 三渓園 睡蓮池 
三渓園 内苑入口の三渓園案内図 三渓園 内苑入口の三渓園案内図 

三渓園案内図を前に三渓園全体の説明と、内苑と外苑の違いなどを説明して、三渓園の主要建物の見学を始める。

内苑

原家が私庭として使用していたエリア。江戸時代初期に建てられた、雁行形に3棟が連なる外観の臨春閣を中心に、古建築で構成された繊細なつくりの庭が広がります。
三渓園 御門の前に鶴翔閣庭園に立ち寄る 三渓園 御門の前に鶴翔閣庭園に立ち寄る 

御門に向かう前にある生垣の扉を開け、特別参観として鶴翔閣の庭を鑑賞する。
三渓園 御門の前に鶴翔閣庭園に立ち寄る 三渓園 御門前から鶴翔閣庭園に立ち寄る 

木立の奥に鶴翔閣が見える。鶴翔閣から庭を見ることは出来ないが、庭側から立ち入ることも生垣に鍵がかかっており出来ない。ガイドが稲門会のイベントとして特別扱いしたもので、山の一角にコンクリート製の立派な防空壕跡がある。
三渓園 御門の前に鶴翔閣庭園に立ち寄る 三渓園 御門前から鶴翔閣庭園に立ち寄る 

鶴翔閣は明治42(1909)年建築の延床面積950uにもおよぶ広大な規模の原家の旧宅。横山大観など三渓と交流のあった多くの文化人らが出入りした場所としても知られています。近年の復旧整備事業により創建当初の姿に戻され、現在では会議やパーティー・茶会などさまざまな利用に対応できる貸出施設として一般に活用されています。



 
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