|
JR 京浜東北線 鶴見駅(西口)
JR 鶴見駅〜鶴見總持寺〜JR 鶴見線(国道駅〜海芝浦駅〜扇町駅)〜川崎駅
【撮影記録】
平成28年 11月 27日 曇り 後 小雨
13:00〜16:50 4,700歩(概算 3.1km)
川崎稲門会が春、秋に行う散策会で、鶴見總持寺で石原裕次郎の墓所を訪れた後、工場地帯専用とも言える鶴見線の乗車見学をする。鶴見線は鶴見駅以外は無人駅である。
總持寺近くの鶴見線国道駅から乗車して海芝浦駅に着くが、改札口は東芝の従業員専用で付属の公園で海の風景を見てそのまま折り返しで鶴見駅に戻る。鶴見駅から折り返しで扇町駅に着いて降り、バスで川崎駅に向かう。 |
|
JR 京浜東北線の線路沿いに南下
進行方向左の京浜東北線の線路沿いに南下する。 |
|
JR 京浜東北線の線路沿いに南下 鶴見大学会館
昭和28年の学校法人總持学園鶴見女子短大から始まり、現在は共学の文学部、歯学部、短大学部で構成される。 |
|
JR 京浜東北線の線路沿いに南下 交差点の先に總持寺参道 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 入口 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 参道(白字渓)
總持寺は元亨元年(1321年)瑩山禅師により能登に開創されたが、明治31年の大火で多くが焼失、今後の発展を考え、明治44年に鶴見に移転した。三松閣や、三門、向唐門(勅使門)、大祖堂(瑞応殿)、御霊殿など、鬱蒼とした森の中にある永平寺とは違った雰囲気である。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 三松関(総門)
門前に立って、まず目に飛び込んでくるのが「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた扁額(へんがく)です。總持寺中興(ちゅうこう)の祖といわれる石川素童(そどう)禅師(1841〜1924)が揮毫(きごう)されたもので、總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来しています。 この総門は、禅宗寺院の第一門としては珍しく、特異な高麗門(こうらいもん)の様式で建てられています。 総門には、棟つづきの右奥に「新到安下所(しんとうあんげしょ)」があります。仏の道を志す修行僧が、最初にワラジを脱ぎ、宿泊する建物で、細い縦看板がかけられています。 また、総門の左側には、築地塀(ついじべい)を背にして「延命地蔵尊」が祀られています。このお地蔵さんは、悲恋の物語を秘めているとの伝承があり、能登の祖院では「三味線地蔵」と呼ばれています。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 三門 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 境内案内図 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 三門
総門をくぐり、七堂伽藍の最初に出会うのが「三門」です。この三門は、木原崇雲氏が妻の菩提のために寄進され、昭和四十四年に落成した建物です。鉄筋コンクリート造りでは、日本一の大きさを誇っています。 三門には、左右に金剛力士(仁王)像をおくのが通例とされており、總持寺の場合も同様で、左右に元横綱・北の湖関15歳の姿をモデルにしたと伝えられている阿吽の仁王像が納められています。 三門楼上には、開創時からの因縁によって、観音・地藏の放光菩薩像と、十六羅漢像および四天王像が祀られ、毎月二日と十六日には羅漢供養の法要が修行されます。これらの像は彫刻家・阿部正基氏の作です。 三門正面の扁額「諸嶽山」は独住19世・岩本勝俊禅師が書かれたものです。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 三門、三松閣 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 境内 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 境内 三寶殿への階段下の大銀杏
山門をくぐってすぐ左手に見事に黄葉した大銀杏が林立する。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 三門 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 三松閣
三門に向かって右側に大きな切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇がみえます。 地上四階、地下二階、9400平方メートルの広さがあり、檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場となっており、宿泊施設も整っております。 能登・祖院にあった三本の龍形の松にちなんで「三松閣」と呼ばれています。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 三松閣
信者のための研修道場で、宿泊施設でもあり、1階には数珠、線香、土産物の売店がある。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 三松閣
本殿に入るための金鶏門に向かう坂には紅葉したサクラ並木がある。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 香積台
香積とは、香気が充満している世界のことで、『維摩経香積品』が説くところによりますと、そこに住む如来の名でもあるとされております。 転じて、禅門では食事を調理するところの庫院(くいん)、庫裡(くり)を意味します。「庫」は、物を貯える蔵のことです。 正面玄関には、独住第三世・西有穆山禅師が揮毫された「香積台」の扁額が掲げられています。 また、中央廊下のつき当たりに、日本最大といわれる木彫の大黒尊天が奉安されています。この像を祀ると開運福徳を授かると信仰されています。
總持寺には、山内の衆僧や来客の食事をつくる典座寮が、慈峰閣、三松閣にあります。
玄関より入ると、大きな「おしゃもじ」と「すりこぎ」が出迎えてくれます。 更に中に入ると、右手に総受付があります。拝観・墓地・法要・参拝等の受付を行います。
左手は売店・休憩所になっております。
|
|
曹洞宗 大本山 總持寺 金鶏門
金鶏とは、星の中に住む想像の鶏、あけのとり、従って朝をあらわします。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 境内
金鶏門から入ると、右に緑青が吹いた大屋根の大祖堂(瑞応殿)、左に仏殿が見える。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 境内 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 境内
仏殿手前で右折し、大祖堂に向かう。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 紫雲臺
總持寺の住持・禅師の表方丈の間。宗門の僧侶、全国の檀信徒と親しく相見する大書院です。
紫雲臺とは、禅師の尊称にもなっています。
正面玄関の「紫雲臺」扁額は、独住第3世西有穆山禅師の書です。 書院を区画する襖および板戸には大正9〜10年にかけて制作された、佐久間鉄園(上段の間)、津端道彦(相見の間)、松林桂月(松の間)、池上秀畝(雁の間)、佐竹永陵、島崎柳塢、今井爽邦、森脇雲渓、広瀬東畝(孔雀の間)、狩野探令(龍の間)、八木岡勝川春山(山水の間)、松野霞城、高取稚成、佐藤紫煙、大坪正義など、近代日本画の貴重な資料としての水墨画や彩色画が残されています。
これらの障壁画から創建当時の紫雲臺大書院の華麗さがうかがわれます。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 大祖堂
大祖堂は、一般的にいわれる開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及びます。貫首禅師演法の大道場たるのみならず、諸種法要修行の場とされます。
この殿堂の内陣の奥には「伝灯院」として、高祖大師・太祖大師・二祖国師・五院開基の尊像及び独住禅師のご真牌が奉安されています。
堂内では法要が行われていた。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 大祖堂
太祖瑩山(けいざん)禅師と高祖道元(どうげん)禅師、二祖・峨山(がさん)禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する靈場であります。孤峰(こほう)禅師筆の扁額「現身説法」瑩山・峨山両尊が、常に真理を説き続け、私たちを導いてくださる祖師方が常在される大道場なのです。
日々、歴代の禅師様が生きているがごとくお仕えして、徳恩に報いております。 明治41年(1908)、能登から現在の横浜鶴見が丘に御移東の官許を得て、移転の建設は着々と進行しました。しかし七堂伽藍の中枢であり、本山の最重要な大祖堂の建立は、幾多の事情から未建設でありました。昭和40年(1965)3月、二祖・峨山禅師の600回大遠忌を記念して、ようやく竣工・落慶しました。普蔵院・太源宗真(たいげんそうしん)をはじめとする妙高庵・通幻寂霊(つうげんじゃくれい)、洞川庵・無端祖環(むたんそかん)、伝法庵・大徹宗令(だいてつそうりょう)、如意庵・実峰良秀(じっぽうりょうしゅう)各禅師の尊像を配し、向かって左側には輪住、独住の諸禅師の尊牌を祀っています。
瑩山禅師が説示された「師檀和合の信念」がひとつに結晶して、巨額な浄財によって大祖堂が建立されました。タタミ千畳敷きの広さのなかで、朝夕の勤行、檀信徒の法要が親しく厳修されています。時に揺るぎない三国(インド、中国、日本)伝燈の大本山の霊場が、不断に脈打ち、現成されているのです。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 大祖堂から仏殿へ |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 大祖堂から仏殿へ |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 仏殿
七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」とも呼んでいます。 總持寺では、中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)を祀っています。 如来は、死の恐怖、病気、四苦八苦など様々な衆生の悩みや苦しみを救済するため、その具体的な請願によって出現される仏です。尊像は、右手を施無畏印、左手は与願印の印相をしております。 この印相は、人々の不安をとり除き、あらゆる願いをかなえてくれる大慈悲の心を表現しています。 ご本尊の脇侍として向かって右は比丘相の迦葉尊者、左には若年美顔相の阿難尊者を祀っています。 この両尊者は、お釈迦様の「十大弟子」の二人でもあります。 須弥壇の左右の壇には、禅宗の初祖である達磨大師と、大権修理菩薩を祀っています。 この2尊を祀ることは一般の曹洞宗寺院と同じですが、両袖に曹洞禅の祖師である洞山悟本大師と、天童如浄禅師を奉安するのは、大本山總持寺仏殿の特色といえるところです。 |
|
曹洞宗 大本山 總持寺 放光堂
仏殿の左手にあるが、その手前に北都玉兎門があり、そこから石原裕次郎の墓苑に向かった。 |