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曹洞宗 大本山 總持寺 放光堂 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 放光堂前 被災霊骨奉祀の仏塔 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 放光堂前 被災霊骨奉祀の仏塔
5年前に来た時は摩滅が甚だしく読めなかったが、新調されていた。
被災霊骨奉祀由来
昭和四十五年三月六日午前零時五分、不測の殃禍により、常照殿及び西部接賓等の隣接建物が一瞬のうちに烏有に帰した。
常照殿は、檀信徒の霊骨を合祀する納骨堂にして、これが焼失は痛恨の極みであり、如何に慰霊の方途を講ずべきか熟慮の結果、名古屋万松寺より伊藤覚典師代に寄贈されたこの宝篋印塔に被災霊骨を合祀し、以て慰霊の誠を捧げ冥福を資助せんものなり。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 放光堂
明治44年(1911)11月5日、總持寺が能登から移転されて、最初に法要が厳修された記念すべき建物です。 この堂宇は安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立されましたが、總持寺移転に際して特別に献納された由緒があり、当時は、大祖堂として中心的な役割を果たしました。 現在は全国檀信徒の永代供養のご位牌を祀り、日夜回向しています。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 玉兎門
玉兔とは、月に住むウサギのこと、月のこと、夜をあらわします。 玉兎門の左には中雀門がある。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 玉兎門からの坂を下る |
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曹洞宗 大本山 總持寺 向唐門、香積台 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 向唐門
總持寺は、後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」との綸旨を賜り、以後、歴代天皇より勅願寺として仰がれましたので、「勅使門」の名を残しておりました。 禅師の入山式や、正月・7月のみたままつり・11月の御移転記念日の時に開扉されております。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿への階段下の大銀杏 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿への階段下の大銀杏
後方に三門が見える。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿参道 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿参道
三寶荒神祈禧殿
(御神殿はこの山上)
本山鎮守三寶大荒神を祀る。
その昔太源宗真禅師の霊夢により勧請され本山守護神として御霊験あらたかに十方篤信の方々の御信仰を集めています。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿参道 大梵鐘
三門の東を登った小高い丘陵を雙眸丘(ふたみがおか)といいます。大梵鐘は、その丘にあります。
大正2年(1913)に、1万6千人ほどの願いや祈りを淨財にして鋳造され、関東一の大きさを誇ります。 鐘銘は独住4世・石川素童禅師、勧進元は後に9世の伊藤道海禅師です。 平成7年(1995)秋に横浜市指定文化財になりました。
この鐘は重さが18.75トンもあり、毎日休むことなく時を刻げています。大晦日には一般参詣者も、大梵鐘を撞くことができます。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿参道 ラッド博士之碑 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿
總持寺の守護神は荒神様(三寶大荒神)です。 總持寺三世太源宗真禅師(普蔵院開基)の成徳道風を敬慕した難陀竜王が禅師の血脈(禅師の法戒)を授けられた。そのお礼に荒神を奉納したと伝えられます。 禅師は、これを受けて当本山の鎮護の神として、永久に仏・法・僧の三宝を守護する三寶大荒神として祀られたことに由来します。
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿参道 桜木観音(平成救世観音)
昭和26年4月、横浜・桜木町で起きた電車事故で亡くなられた103人を供養する観音さまです。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿参道 桜木観音から見た三門、三松閣 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三寶殿参道 桜木観音(平成救世観音)
左には欧州戦乱受難会員之碑があり、上部には宮崎丸、常陸丸、平野丸と船名が書かれている。この3隻は第一次世界大戦でドイツ海軍により沈められた。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三門から見た桜木観音(平成救世観音) |
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曹洞宗 大本山 總持寺 参道 三松関(総門) |
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曹洞宗 大本山 總持寺 参道 入口
先に見える鉄橋裏に跨線橋がある。 |