|
首都高9号深川線沿いを西進 大島川東支川に架かる木場橋 |
|
首都高9号深川線沿いを西進 平久川に架かる鶴保橋 |
|
首都高9号深川線沿いを西進 平久川に架かる鶴保橋 |
|
首都高9号深川線沿いを西進 鶴保橋西交差点で左の遊歩道へ |
|
八幡堀遊歩道 入口
首都高の高架の左側を見ながら西進、八幡堀遊歩道の入口を見つけたら左折して向かう。目標となるものはないため、注意が必要である。逆に八幡堀遊歩道から木場公園に向かう時は、北に向かいさえすれば鶴保橋が見つかるので分かりやすい。 |
|
八幡堀遊歩道 入口 |
|
八幡堀遊歩道 旧新田橋 |
|
八幡堀遊歩道 旧新田橋
新田橋は、大横川(旧大島川)に架かり、江東区木場五丁目から木場六丁目を結ぶ、町の人びとの暮らしを支え続けてきた小さな橋の人道橋です。
大正時代、岐阜県から上京し、木場五丁目に医院の開業をしていた新田清五郎さんが、昭和7年、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める「橋供養」の意味を込めて、近所の多くの人たちと協力して架けられたものです。
当初、新船橋と名付けられたが、町の相談役としても人望が厚く、「木場の赤ひげ先生」的な存在であった新田医師は、亡くなった後も地域の人々から愛され、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになりました。
また、映画やテレビの舞台ともなり、下町の人々の生活や歴史の移り変わり、出会いや別れ、様々な人生模様をこの橋は静かに見守り続けてきました。 |
|
八幡堀遊歩道 遊歩道を南下 |
|
八幡堀遊歩道 八幡橋(旧弾正橋) |
|
八幡堀遊歩道 八幡橋(旧弾正橋)
八幡橋は、明治11年(1878年)に京橋区楓川に架けられ、島田弾正屋敷が近くにあったことから弾正橋と呼ばれていました。
現在の中央区宝町三丁目付近に位置します。弾正橋は、馬場先門から本所・深川とを結ぶ主要街路の1つで、文明開花のシンボルとして架橋されましたが、その後関東大震災の復興事業により廃橋となってしまいました。しかし昭和4年(1929年)には、その由緒を惜しみ現在地に移設され、八幡橋と名前も改められました。現在では江東区が大切に保存しています。
この東京名所図会(三ツ橋の現況)には、明治34年(1901年丿頃の弾正橋(左奥)が描かれており、当時の情景が偲ばれます。
弾正橋・白魚橋・真福寺橋とあわせて三ツ橋と呼び、古くから有名で人々から親しまれていました。 |
|
八幡堀遊歩道 旧弾正橋(八幡橋) |
|
八幡堀遊歩道 旧弾正橋(八幡橋)
八幡橋は、東京市で最初に架けられた鉄橋である 長さ一五.ニメートル、幅ニメートル、単径間アーチ橋の形式をとる。アーチは鋳鉄製で五本の直材をつなぎ、その他の引張材は錬鉄製の鋳錬混合の橋である。もとは、京橋区(中央区)の楓川に架けられていたものである。経緯については、「八幡橋新橋来歴」に詳しく記されている。この橋は明治十一年(一八七八)、東京府の依頼により工部省赤羽製作所で製造された。はじめは弾正橋と称していたが、大正二年(一九一三)の市区改正により新しい弾正橋が架けられたため、元弾正橋と改称された。さらに、関東大震災後の帝都復興計画により廃橋となり、昭和四年(一九二九)、現在地に移設された。富岡八幡宮の東隣りであるため、名称も八幡橋と改められた。現存する鉄橋としては最古に属するものであり、また、菊の紋章のある橋としても有名である。鋳鉄橋から錬鉄橋に至る過渡期の鉄橋として、近代橋梁史上貴重なものであるとともに、独特な構造手法を用いて施工してあり、技術史の上でも価値の高い橋である。 |
|
八幡堀遊歩道 米国土木学会からの「土木学会栄誉賞」記念碑 |
|
八幡堀遊歩道 米国土木学会からの「土木学会栄誉賞」記念碑
八幡橋は明治11年(1878)我が国において最初に日本製の鉄を使って造られた鉄橋で、国の重要文化財や東京の著名橋になっています。橋の形(ウィップル形トラス)は、米国人スクワイアー・ウィップル(SQUIRE・WHIPPLE)氏の特許が基本となっています。
ウィップル形トラス橋の名誉と日本の歴史的土木建造物「八幡橋」の優れた製作技術に対して平成元年(1989)米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が送られました。 |
|
八幡堀遊歩道 八幡橋鉄構来歴 東京市 |
|
八幡堀遊歩道 旧弾正橋(八幡橋) |
|
八幡堀遊歩道 突き当りで右折、富岡八幡宮 東参道へ |
|
八幡堀遊歩道 八幡橋(旧弾正橋) 由来
旧弾正橋は、明治11年(1878)東京府の依頼により工部省赤羽製作所が製作した国産第1号の鉄橋です。昭和4年(1929)現在地に移され八幡橋と改称し、以来八幡橋として活躍してきました。昭和52年(1977)近代橋梁技術史上価値の高い橋であることから、国の重要文化財に指定されました。また、アメリカ人技師スクワイア一・ウィップルの特許を基本としたところから、平成元年10月、国内で初めてアメリカ土木学会より「栄誉賞」を受けました。 |