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品川駅〜グランドプリンスホテル高輪〜東禅寺

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JR 品川駅 中央改札口 JR 品川駅 中央改札口 

品川駅〜グランドプリンスホテル高輪〜東禅寺〜高輪三丁目交差点〜高輪消防署二本榎出張所〜高野山東京別院〜黄梅院〜承教寺〜細川家下屋敷跡〜高輪皇族邸〜高輪コミュニティぷらざ〜魚藍坂下交差点〜化粧地蔵尊(玉鳳寺)〜魚籃寺〜白金高輪駅

【撮影記録】
平成30年 6月 8日 晴れ
9:30〜14:00(昼食 60分) 10,200歩(概算 6.1km 地図上の距離 4.9km

梅雨入りしてすぐの30℃超えの暑い一日だった。川崎のシステムを介した団体であるKSN(川崎シニアネット)主催の歩く会で品川から高輪界隈を散策した。
場所は何度も歩いている所だが、コースは色々と変わっており、高輪皇族邸〜高輪コミュニティぷらざ〜魚藍坂下交差点のように、久しぶりの所もあった。
 JR 品川駅 自由通路(港南口(東口)方向) JR 品川駅 自由通路(港南口(東口)方向) 

集合時刻は9時半であり、ラッシュアワーの真っ最中である。品川駅の東口にあるNTTドコモなどのNTTグループ会社や、港南口にある高層ビル各社に向かうサラリーマンでごった返ししている。
JR 品川駅 自由通路(高輪口(西口)方向) JR 品川駅 自由通路(高輪口(西口)方向) 

高輪口には大きなホテル群があり、キャリーケースを引く旅行者が向かい、京急から来るサラリーマンも来る。
JR 品川駅 高輪口から右折、第一京浜を北上 JR 品川駅 高輪口から右折、第一京浜を北上 

高輪口の正面に高層のホテル群が建ち並ぶ。柘榴坂を挟んで左にウィング高輪WEST、品川プリンスホテルなどがあり、右にはシナガワグースなどが建っている。
 第一京浜 シナガワグースの北側を歩く 第一京浜 シナガワグースの北側を歩く 

ある年代以上の人には、シナガワグースホテルよりもパシフィック東京の名のほうが馴染みやすい。
シナガワグースとTakanawa Courtの間を進む  シナガワグースとTakanawa Courtの間を進む 
グランドプリンスホテル高輪 高輪 花香路 グランドプリンスホテル高輪 高輪 花香路 

花香路は高級和風ホテルである。
グランドプリンスホテル高輪 旧竹田宮邸洋館 グランドプリンスホテル高輪 旧竹田宮邸洋館 

 明治44年(1911年)に建てられた竹田宮邸は和館と洋館が並列する形で、完成した当時には、品川の海が一望できたといわれています。北白川邸は、平成2年に取り壊され、その跡地にはグランドプリンスホテル新高輪・国際館パミールが建設されました。この地で唯ひとつ現存する旧宮家の邸宅は竹田宮邸の洋館で、戦後、通商産業大臣公邸を経て、現在はグランドプリンスホテル高輪の貴賓館として結婚式場などに利用されています。
グランドプリンスホテル高輪 グランドプリンスホテル高輪 
グランドプリンスホテル高輪前の階段を下り、高輪公園へ グランドプリンスホテル高輪前の階段を下り、高輪公園へ 
グランドプリンスホテル高輪前の階段を下り、高輪公園へ グランドプリンスホテル高輪前の階段を下り、高輪公園へ 
高輪公園 木立を北上 高輪公園 木立を北上 
高輪公園 公園附近沿革案内 高輪公園 公園附近沿革案内 

 この公園の付近は、三方を丘で囲まれた静かなくぼ地で、江戸入口の大木戸から南方に当たり国道東側まで海があって、景色のよい所だった。
 今から約300年前寛永13年(1636年)に近く
にある東禅寺が赤坂から移った。この禅寺を中心として多くの寺が建ち、その周辺には有名な大名井伊、本多家などの下屋敷があった。
 幕末には、東禅寺は最初の英国公使館となった。附近の一部は江戸時代を通じ荏原郡高輪村であったが、明治5年東禅寺、法蔵寺、法蓮寺、浄業寺等の寺地と、本多家下屋敷のー邨を合併し下高輪町となった。
 高輪の地名は、高い所にある、まっすぐな道という意味の高縄手道が略されたものとも、岬を意味する高鼻というのがなまったものともいわれる。
 この場所は以前、酒井邸であったところで昭和36年11月東京都交通局の所有になり昭和45年10月港区が買収し昭和47年7月高輪公園として開園した。
高輪公園を出て左折、西進 高輪公園を出て左折、西進 

今までに何回か東禅寺を訪れたが、グランドプリンスホテル高輪から高輪公園を経るコースは初めてで、いつもは第一京浜を北上し高輪歩道橋先で左折し高輪公園を経て東禅寺に向かっていた。
 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 山門 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 山門 
東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 山門 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 山門 
東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 山門 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 山門 

国指定史跡 東禅寺

 東禅寺は、幕末の安政六年(一八五九)、最初の英国公使館が置かれた場所です。東禅寺は、臨済宗妙心寺派に属し、開基の飫肥藩主伊東家の他、仙台藩主伊達家、岡山藩主池田家等の菩提寺となり、また、臨済宗妙心寺派の江戸触頭でもありました。
 幕末の開国に伴い、安政六年六月、初代英国公使(着任時は総領事)ラザフォード・オールコックが着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年(一八六五)六月まで七年間英国公使館として使用されました。その間、文久元年(一八六一)五月には尊皇攘夷派の水戸藩浪士に、翌二年五月に松本藩士により東禅寺襲撃事件が発生し、オールコックが著した「大君の都」には東禅寺の様子や、東禅寺襲撃事件が詳述されています。
 現在の東禅寺の寺域は往時に比べ縮小し、建物の多くも失われていますが、公使館員の宿所となっていた「僊源亭(せんげんてい)」やその前の庭園などは良好に残っています。庭園と僊源亭を含めた景観は、公使館時代にベアトが撮影した古写真の風景を今に伝えています。
 幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館に当てられた寺院は大きく改変され、東禅寺が公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院であることから国史跡に指定されました。

平成二四年三月 建設 東京都教育委員会
東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 山門 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 山門 

東禅寺は、横浜開港後にイギリス公使館となった所で、攘夷派浪人による焼き討ち事件などがあったことでも有名。
旧品川宿は品川駅の南に位置する京急北品川駅〜新馬場駅であり、東禅寺は1.5km以上北にある。
東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 境内 三重塔 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 境内 三重塔 
東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 境内 本堂 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 境内 本堂 
東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 境内 本堂 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 境内 本堂 
東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 境内 三重塔 東禅寺(最初のイギリス公使館跡) 境内 三重塔 



 
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