|
都営大江戸線 門前仲町駅
都営大江戸線 門前仲町駅〜深川不動尊〜富岡八幡宮〜門前仲町交差点〜清澄庭園〜清洲橋〜水天宮〜甘酒横丁〜浜町明治座〜馬喰横山繊維問屋街〜浅草橋蔵前〜国際通り〜花やしき浅草寺〜仲見世〜雷門〜都営浅草線 浅草駅
【撮影記録】
平成22年 1月 9日 快晴
10:20〜13:25 14,000歩(概算 11.2km)
最高気温が10度を超し、風もないので暖かった。正月から9日を経てはいたが、流石に深川不動尊、富岡八幡宮、水天宮、浅草寺は初詣で賑わっていた。 |
|
清澄通り 門前仲町交差点で左折、永代通りへ
都営大江戸線は清澄通りを南北に走るため、駅を出て少し南下すると門前仲町交差点である。
東京メトロ(旧営団)東西線は永代通りを東西に走り、門山仲町交差点で交差する。 |
|
永代通り 正月飾りの門前仲町商店街 |
|
永代通り 深川不動尊
元禄16年(1703年)に成田山新勝寺の別院として建立された。当時不動尊信仰が盛んで、成田山に行かずとも江戸で参詣したいとの町民の希望がかなった。 |
|
深川不動尊 表参道
表参道には「人情深川 ご利益通り」の幟が掲げられている。 |
|
深川不動尊 本堂
松も明けた9日だというのに多くの参拝客が出ており、土曜であるが会社としてまとまっての参拝も多かった。
深川不動堂は真言宗で、成田山不動堂新勝寺の出張所として明治11年(187B)当地に遷座され、同14年、堂宇が建立されました。
元禄(1688〜1703)の初め頃より、江戸で成田山不動が盛んに信仰されるようになり、元禄16年(1703)本尊不動明王か初めて富岡ハ幡宮の境内で出開帳されました。以来、出開帳のたびに、その様子が錦絵に描かれ出版されるほどになりました。 |
|
深川不動尊 御札場
本堂を中心にいくつかの御札場があり、テント張りもある。 |
|
深川不動尊 護摩木
願の内容により災難、旅行、家内安全、工場安全などに分けられており、選んで必要事項を書いて手続きをとる。 |
|
深川不動尊 本堂 |
|
富岡八幡宮 裏参道
深川不動尊から深川庭球場前を東進、富岡八幡宮の裏参道に至る。 |
|
富岡八幡宮 末社 恵比寿宮・大黒宮
裏参道に入ってすぐ左手にあり、普段は閑散としているが、深川七福神の一つ恵比寿様が祀られており、参拝者が多かった。 |
|
富岡八幡宮 末社 恵比寿宮・大黒宮 |
|
富岡八幡宮 本殿
参拝者が少ないせいもあり、順番待ちの列が出来ていた。
寛永4年(1627年)に創建され、江戸最大の八幡様である。勧進相撲の開催地であることから、力石など力士関連の遺構が多い。 |
|
富岡八幡宮 表参道 |
|
富岡八幡宮 表参道 大関力士像
当宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られ、明治年間には歴代横綱の名を刻んだ横綱力士碑(本殿に向かって右側の奥)が建立されましたが、この大関カ士碑は歴代の大関を顕彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組みには入らなかった看板大関を除きます)
昭和五十八年に建てられた碑で、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を利用しています。
本殿と右の婚儀殿との間の渡り廊下をくぐり抜けた奥に横綱力士碑がある。 |
|
富岡八幡宮 伊能忠敬 日本測量出発地
近代日本地図の始祖である伊能忠敬先生は、事業に成功したあと五〇歳のとき江戸に出て、当宮近くの黒江町(現在は門前仲町一丁目)に隠宅を構えていました。
約200年前の寛政十二年閏四月十九日(陽暦では一八〇〇年六月十一日)の早朝に当宮に参拝して蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけました。
忠敬先生はこのときを含めて全部で1〇回の測量を企画しましたが遠国に出かけた第八回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣して、無事を祈念したのち、千住、品川宿など測量開始地点に向かって歩き出しました。当宮は伊能測量にとってたいへん御縁の深い場所であります。 |
|
富岡八幡宮 大鳥居
大鳥居から右折、永代通りに出る。 |
|
永代通り たいやき工房 白家
富岡八幡宮を出てすぐにあり、今流行の白いたいやきを販売しているらしい。正月明けの土曜の10時40分なので開いていてもおかしくない、とは思う。 |
|
永代通り 深川不動尊
続々と深川不動尊に向かう参拝者の流れに逆らい、門前仲町交差点に向かう。 |
|
永代通り 門前仲町交差点で右折、清澄通りへ |