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都営 大江戸線 門前仲町駅
門前仲町駅〜門前仲町商店街〜初春の富岡八幡宮 正面参道風景〜本殿〜横綱力士碑〜西参道)〜初春の深川不動尊(東参道〜不動尊〜深川公園)〜法乗院(えんま堂)〜心行寺(福禄寿)〜滝沢馬琴生誕の地〜清圓珠院(大黒天)〜霊巌寺〜深川江戸資料館〜清澄庭園〜深川稲荷神社(布袋尊)〜萬年橋〜芭蕉庵史跡展望庭園〜江東区芭蕉記念館〜森下駅
【撮影記録】
平成31年 1月 7日 快晴
11:10〜14:30(昼食 35分) 9,600歩(概算 6.7km 地図上の距離 4.8km)
ここ数年初詣は手近な明治神宮が多かったが、久し振りに深川の散策を兼ねて富岡八幡宮を参拝した。行ってみると深川不動尊の方が破魔矢、熊手など種類も多く、賑わっていた。そこから清澄通りを北上、清澄庭園界隈の相撲部屋を通り、芭蕉の深川遺構を巡り、できたら両国まで、と思っていた。
深川不動尊を出ると、深川七福神巡りをする人が多く、岩国藩縁の心行寺では普段ガラガラなのに入れ代わり立ち代わり訪れる人が多く、予定のコースから大きく外れない限り立ち寄ることとし、四福神を参拝した。結局、寄り道の疲れもあり、両国までは行かずに森下で終了とした。 |
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清澄通り 門前仲町交差点で左折、永代通りへ
門前仲町交差点で清澄通りを南北に走る都営大江戸線と、東西に走る東西線とが交差する。 |
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永代通り 初春の飾付けがされた門前仲町商店街を東進 |
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永代通り 深川不動尊 表参道 「人情深川御利益通り」入口 山門(通称 赤門) |
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永代通り 深川不動尊 表参道 「人情深川御利益通り」
山門(通称 赤門)の先に表参道 「人情深川御利益通り」があり、奥に旧本堂が見える。 |
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永代通り 初春の飾付けがされた門前仲町商店街を東進 |
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永代通り 富岡八幡宮 大鳥居
寛永4年(1627年)に創建。江戸時代には徳川家の手厚い保護を受け、「江戸最大の八幡様」として栄えた。祭礼は江戸三大祭りのひとつとしても有名。また江戸勧進相撲発祥の地としても知られ、境内に横綱力士碑をはじめ、力石、大関力士碑がある。
大関力士碑は表参道沿いにあり、力石は摂社の恵美須社に向かう途中の本殿脇にあるのですぐ分かる。しかし、横綱力士碑は本殿右の婚儀殿の渡り廊下の裏にあるので分かりにくい。 |
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永代通り 富岡八幡宮 大鳥居
久しく訪れなかったこともあるが、富岡八幡宮の大鳥居は焦げ茶色の鉄製だったはずが、目にも鮮やかな朱色の大鳥居に変貌していたのには驚いた。 |
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富岡八幡宮 正面参道 天皇皇后両陛下 行幸啓記念碑
碑面左に「富岡八幡宮宮司 富岡長子謹書」と記されている。この宮司は実弟で放蕩行為がひどいとのことで解任された元宮司の恨みから一昨年(平成29年)末に刺殺された。 |
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富岡八幡宮 正面参道 大関カ士碑
当宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られ、明治年間には歴代横綱の名を刻んだ横綱カ士碑(本殿に向かって右側の奥)が建立されましたが、この大関カ士碑は歴代の大関を顕彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組みには入らなかった看板大関を除きます)昭和五十八年に建てられた碑で、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を利用しています。 |
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富岡八幡宮 正面参道 大関カ士碑
この一画には強豪関脇力士碑や、長身で知られる釈迦獄等身碑等がある。
何をもって「強豪」というかは分からないが、数多い関脇の中で力道山、鶴ヶ嶺、逆鉾など馴染みの力士名がある。 |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し
力士関係の碑の向かいにある富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿)や、伊能忠敬 日本測量出発地碑に向かおうとしたら猿回しが始まったので、そちらに向かった。
今までに正月恒例の浅草神社や、数寄屋橋交差点、湯島天神などで猿回しを見ているが、いかにも道端の芸能という感じだった。今回のように大きな派手な敷物を敷き、使う小道具も鮮やかなものは初めてである。 |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し
初めは竹馬で歩き回る芸を見せ、次に竹馬で柵を超える芸となる。次に3基の柵を乗り越えたり、三段の柵を超えたりする。 |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し
芸はだんだん高度になり、右から階段を上って左から降りる時に逆立ちとなる。 |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し
最後の芸として階段を離して上った所で左の段に飛び乗り、そこで逆立ちで降りてくる。飛び越える途中で態勢を逆立ちにするなどなかなか芸が細かい。 |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し
高さ2m強の棒の上で芸を見せて終了である。 |
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富岡八幡宮 正面参道 初春祝賀の猿回し |
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富岡八幡宮 正面参道 伊能忠敬 日本測量出発地碑に戻る
猿回しの芸が終わったので富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿)収蔵庫を経て、伊能忠敬 日本測量出発地碑に向かう。 |
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富岡八幡宮 正面参道 伊能忠敬 日本測量出発地碑
伊能忠敬銅像
近代日本地図の始祖である伊能忠敬先生は、事業に成功したあと五〇歳のとき江戸に出て、当宮近くの黒江町(現在は門前仲町一丁目)に隠宅を構えていました。
約二00年前の寛政十二年閏四月十九日(陽暦では一八〇〇年六月十一日)の早朝に当宮に参拝して蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけました。
忠敬先生はこのときを含めて全部で一〇回の測量を企画しましたが、遠国に出かけた第八回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣して、無事を祈念したのち、千住、品川宿など測量開始地点に向かって歩き出しました。当宮は伊能測量にとってたいへん御縁の深い場所であります。 伊能測量開始二○○年にあたり、「伊能ウォーク」、地図・測量、土地家屋調査士、伊能忠敬研究会などの関係者が中心となって、広く一般から浄財を公募して建立されました。 |
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富岡八幡宮 正面参道 伊能忠敬 日本測量出発地碑 |
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富岡八幡宮 正面参道 富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿) |
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富岡八幡宮 正面参道 富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿)
当八幡宮には、江戸時代深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門より三社託宣に因み八幡造り・神明造り・春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と云われて参りましたが大正十二年の関東大震災で惜しくもその全てを焼失してしまいました。それ以来、御本社神輿の復活は深川っ子の念願でありましたが、平成の御世になり漸く昔に優るとも劣らない豪華な大神輿が復活致しました。 |
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富岡八幡宮 正面参道 本殿 |