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伊勢山皇大神宮 裏参道から出て左折、紅葉坂へ
裏参道を出ると右に県立青少年センターがあり、直進すると白い県立図書館が見える。県立図書館前を道なりに右折していくと横浜能楽堂を経て、桜で有名な掃部山公園に出る。 |
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紅葉坂 横浜市教育会館 |
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紅葉坂 戸部一丁目交差点で左折、横浜駅根岸道路へ
横浜駅根岸道路は横浜市道80号で、紅葉坂の向かいから交差点に上りながら入ってくる。 |
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横浜駅根岸道路 野毛坂を下る |
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横浜駅根岸道路 野毛坂を下る
野毛の切通し
安政6(1859)年、東海道と開港場を陸路でつなぐ横浜道を通すために野毛の山が切り開かれ、この辺りは野毛の切通しと呼ばれ、直角に曲がって、野毛、吉田橋へと続く道になりました。開港揚を目指して全国から集まる人々や物資が行き交い、輸入された様々な文物もまた切通しを通り全国に伝えられました。
現在の切通しは昭和3(1928)年に市電長者町線の整備の際に道幅を拡幅・切り下げしてできたもので、東側の石垣はその頃に築造されたものです。西側の野毛山住宅亀甲積擁壁(旧平沼専蔵別邸石積み擁壁及び瓦塀)(市認定歴史的建造物)と共に、往時の壮観を今に伝えています。 |
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横浜駅根岸道路 野毛坂を下る
成田山横浜別院延命院は、伊勢山皇大神宮の表参道の向いからとこの案内手前から行くことが出来る。
横浜成田山は、野毛山不動尊の名で知られ、横浜開港の頃(明治初期)、易断で名高い高島嘉右衛門氏等の協力により、大本山成田山新勝寺(千葉県成田市)の横浜別院として建立されました。寺号は延命院、かつて七代目市川団十郎が天保の改革の際、江戸払いを言い渡され、しばらく居住した成田山境内にあった成田山末寺延命院のゆかりある寺号を移し成田山横浜別院延命院(明治26年・1893)と号しました。 |
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横浜駅根岸道路 野毛坂交差点 左折すると桜木町駅へ
左折し、野毛坂通りを下ると桜木町駅に到る。 |
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横浜駅根岸道路 野毛坂交差点 右折すると野毛山公園へ
交差点を曲がると、すぐ突き当たりで少し直進すると野毛山公園の入口がある。左折して坂を上って行くと野毛山動物園に向かう。 |
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横浜駅根岸道路 日ノ出町交差点 野毛大通りを渡る |
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横浜駅根岸道路 日ノ出町交差点 野毛大通りを渡る |
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横浜駅根岸道路 大岡川に架かる長者橋 |
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横浜駅根岸道路 伊勢佐木町3丁目交差点で左折、イセザキモールへ |
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独特のゲートがなくなったイセザキモール入口
伊勢佐木町3丁目交差点でイセザキモールに入ると独特のゲートがあった。1年前にはあったので、何時無くなったのかは分からない。ゲートを見るとイセザキモールに来た、と感じていたので普通の商店街風景には違和感を感じる。 |
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イセザキモール(二丁目)を北上
伊勢佐木町の1、2丁目はイセザキモールと称し、全面歩行者天国である。3〜7丁目までは伊勢佐木町商店街と呼ばれる。 |
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イセザキモール(二丁目)を北上
イセザキモールの商店街案内が所々に設置されている。 |
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イセザキモール(一丁目)を北上 二丁目との境を越える
一丁目と二丁目との間に東から西への一方通行の自動車道がある。 |
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イセザキモール(一丁目)を北上 JRAエクセル伊勢佐木 |
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イセザキモール(一丁目)を北上 旧カレーミュージアム
横浜カレーミュージアムは、旧横浜松坂屋の斜め向かいにあり派手な外壁で有名だったが、平成19年3月に閉鎖された。ゲームセンターなどになっていたが、平凡な白い外壁でインパクトはまるでない。 |
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イセザキモール(一丁目) 伊勢佐木町入口交差点のゲート |
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イセザキモール(一丁目) 伊勢佐木町入口交差点 新横浜道り(桜川新道)を渡る
新横浜道り(桜川新道)は二つに分岐し、手前(南側)は東から西へ、北側は西から東への一方通行になっている。間は切り通しになっており首都高神奈川1号横羽線である。 |