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上野公園 上野東照宮 大石鳥居
上野東照宮は、上野動物園の南側で、公園の西側に位置している。
この鳥居には、厩橋侍従酒井雅楽頭忠世の名前がある。あの下馬将軍の異名を持つ酒井候で、寛永10年の日付がある。 |
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上野公園 上野東照宮 満開の参道に並ぶ花見の屋台
普段は何もない参道には花見客相手の屋台が軒を連ねている。屋台の数も多く、扱う食べ物の種類も多いが、全体を取り仕切る組織があるようで、中年男性の係員が注文を受けたり、片付けをしている。
値段はあきれるほど高く、缶ビールや缶チュウハイ、ジュースを始め、食べ物も全て500円均一である。
参道のため、場所もないこともあるが、宴会ではなく、軽く一杯、という雰囲気である。 |
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上野公園 上野東照宮
屋台の店の中にあり、断って撮影した。
藤堂高虎(一五五六〜一六三〇)は上野山内の屋敷の中に、徳川家康を追慕し、家康を祭神とする宮祠を造った。これが上野東照宮の創建といわれている。あるいは寛永四年(一六二七)、宮祠を造営したのが創建ともいう。もとは「東照社」と称していたが、正保二年(一六四五)に宮号宣下があり、それ以後家康を祭る神社を東照宮と呼ぶようになった。
現在の社殿は、慶安四年(一六五一)、三代将軍家光が大規模に造り替えたもので、数度の修理を経ているが、ほぼ当初の姿を今に伝える。社殿の構造は、手前より拝殿、幣殿、本殿からなり、その様式を権現造りという。社殿は都内でも代表的な江戸時代初期の権現造りで、華麗荘厳を極めている。
唐門、透塀は社殿とともに構造、様式が優れており貴重であることから、参道人口の石造明神島居、唐門前に並ぶ銅燈龍四十八基と合わせて国の重要文化財に指定されている。 |
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上野公園 上野東照宮 満開の参道に並ぶ花見の屋台 |
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上野公園 上野東照宮 寛永寺の五重塔
屋台の隙間から満開の桜に覆われた寛永寺の五重塔が見える。これほど間近に見えるので、傍に行きたいと思ったが、駄目だった。 |
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上野公園 上野東照宮 |
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上野公園 上野東照宮 神楽殿 |
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上野公園 上野東照宮 銅燈籠
東照宮社殿唐門前と参道に、五十基の銅燈籠が並んでいる。燈籠は神事・法会を執行する時の浄火を目的とするもの。
照明用具てはない浄火は神事・仏事に使う清めた火。燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成されている。火袋は、八角・六角・四角などの形式に分かれ、各面には火口・円窓という窓を設けている。火袋下部の長い部分を竿といい、ここに銘文を刻むことが多い。
寄進者名に伊賀少将藤堂高虎などの名前が刻まれた銅灯篭があるが、震災のせいで立入禁止となっている。 |
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上野公園 上野東照宮 改修中の唐門
唐門の写真を描いた大きな幕が掲げられている。本物はこれほどけばけばしくはなかった。 |
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上野公園 上野東照宮 改修中の唐門
日本には一つしかない金箔の唐門である。
扉には梅に亀甲の透彫、門柱には左甚五郎作昇竜(右)降竜の高彫、門の側面左右上部の松竹梅に錦鶏鳥の透彫など非常に精巧を極めたものである。 |
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上野公園 上野東照宮 銅燈籠
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上野公園 上野東照宮 満開の参道に並ぶ花見の屋台 |
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上野公園 上野東照宮 大石鳥居
大石鳥居を出て、桜並木に戻る。 |
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上野公園 満開の桜並木 |
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上野公園 満開の桜並木
広い道の両側から桜がアーチを作り、きれいだし、見事だが、薄曇りとは言え灰色の空には桜の花の淡さが吹き飛んでしまう。 |
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上野公園 満開の桜並木
このような看板が所々に立てられている。
上野恩賜公園ご利用の皆様へお知らせ
このたびの東北地方太平洋沖地震により、
「第62回うえの桜まつり」は中止となりました。
上野恩賜公園での宴会につきましては自粛のご協力をお願いいたします。 |
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上野公園 満開の桜並木 盛り上がらない花見の宴
例年だったら場所取りのブルーシートが所構わず張り巡らされ、高歌放吟の宴会が行われている。さすがに今年はその数は激減し、慎ましやかにビールを飲み交わすグループが散見されるだけである。 |
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上野公園 満開の桜並木 |
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上野公園 満開の桜並木 |
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上野公園 満開の桜並木
左に清水観音堂が見える。 |
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上野公園 公園口 |
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上野公園から山下へ |
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中央通り 上野山下 緊急支援 仙台行き高速バス乗り場 |
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中央通り 上野山下 緊急支援ボランティアの車列
ボランティアグループが出発の打ち合わせを行なっている。 |
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中央通り JR 上野駅 不忍口 |