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戸山ハイツ沿いに北上 |
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戸山ハイツ沿いに東進 新宿区立 戸山第三保育園 |
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戸山ハイツ沿いに東進 突き当りで左折、箱根山通りを北上 |
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箱根山通りを北上 急坂を下る |
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箱根山通りを北上 急坂を下る |
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箱根山通りを北上 戸山多目的運動場 |
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箱根山通りを北上 戸山多目的運動場 |
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箱根山通りを北上 戸山多目的運動場 界隈案内図 |
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箱根山通り 突き当りで右折、諏訪通りへ
左折して坂を上っていき、諏訪町交差点で明治通りを過ぎた所に諏訪神社がある。
諏訪神社
平安初期の弘仁年間(810〜824)に小野篁(おののたかむら)が創建と伝えられている。文治5年(1189)に源頼朝が奥州征伐の戦勝を祈願、後に北条早雲に焼かれた。江戸時代に尾張藩祖徳川義直が信濃の諏訪神社を合祀、改称・再建した。 |
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諏訪通り 早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) 北門
北門から記念会堂を取り壊し、早稲田アリーナとして建造中の工事風景が見える。
記念会堂は東京オリンピックでフェンシング会場として使われた建物で、体育館としてだけでなく、入学式や卒業式、OB対象のホームカミングデーなどの式典会場としても使われていた。 |
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諏訪通り 早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) 正門 界隈案内図 |
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諏訪通り 早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) 正門 |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) 正門 早稲田祭 案内パンフレット配布コーナー
約50年前の学部、大学院時代の早稲田祭との大きな違いは、案内パンフレットが無料で配布されるだけでなく、構内を歩いていると少し強引ではと思うほどパンフレットを渡されることである。
70年安保前後の学生時代は運営団体は過激派の革マルが主導権を握り、パンフレットを現在ならば1,000円以上で買わされ、それが無いと早稲田祭に入場できなかった。後に2000年直前に色々な資金の会計処理が不明朗(過激派への流入など)として大学当局に中止が命じられ、数年後に改善されたとして再開された。一種の風物詩だった過激派の立て看は全く無く、平和な(!?)学園祭となっている。 |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) 記念会堂建て直し(早稲田アリーナ新築)工事
新記念会堂は早稲田アリーナ、屋上に設けられる広場は戸山の丘と名付けられた。 |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) 記念会堂建て直し(早稲田アリーナ新築)工事
正門から校舎まで長いスロープを上って行くと記念会堂建て直し(早稲田アリーナ新築)工事がよく見える。 |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭)
早稲田祭のイベントとして演技がなされているが、多くの女子大生が階段に座って見物している。 |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) キャンパス案内図 |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) |
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早稲田大学 文学部キャンパス(早稲田祭) 記念会堂建て直し(早稲田アリーナ新築)工事
見れば見るほど早稲田アリーナが以前の記念会堂よりも大きな建物と思う。以前の記念会堂の前にあった大きな広場も取り込んでいる。 |
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諏訪通り 馬場下町交差点で左折、穴八幡宮へ |