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中央区道412号 佃大橋交差点 |
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鉄砲洲通りを北上
佃大橋交差点を過ぎると鉄砲洲通りになる。 |
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鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社
鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。
神社は、寛永元年(一六二四)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(一八六八)現在地に移転し、今日に至っています。
関東大震災により被害をうけた境内は昭和十年(一九三五)より復興、整備され、正面中央奥に社殿、左手に神楽殿と摂社八幡宮、右手に社務所と手水舎が向い合うように配置され、境内西南隅に神輿庫が設けられています。また、西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。むかしの富士塚は「江戸名所図会」に描かれた有名なものでした。
境内は昭和初期の神社建築とその配置の有様をよく伝えており、また、富士塚も区内唯一の富士信仰の名残りをとどめている点から、共に中央区民文化財に登録されています。 |
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鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 |
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鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 社殿 |
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鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 力石 |
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鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 鉄砲洲浅間神社(富士塚)
本殿の右奥にあり、分かりにくい所にある。普段は柵が設けられており、中に入ることはできない。 |
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鉄砲洲通り 湊町一丁目交差点で右折 |
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亀島川に架かる南高橋を渡る
創架年代は、昭和六年(一九三一)に起工、同七年三月に竣工。
現在の南高橋の地には江戸時代には木橋は架橋されておらず、亀島川上流に高橋があったのみでした。大正十二年(一九二三)の関東大震災ののち、街路の大規模な区画整備が行われた時に当時の本湊町と対岸の越前堀一丁目との間の亀島川に新しく橋を架けることになりました。
南高橋の右手には亀島川水門があり、亀島川は隅田川に流れこむ。亀島川水門は隅田川テラスの始まりで、黄金の江戸湊の大碇がある。 |
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住友ツインビル前交差点で右折、八重洲通りへ |
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八重洲通りを南下 |
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八重洲通り 北詰から中央大橋に向かう |
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八重洲通り 隅田川に架かる中央大橋
隅田川を挟んで左にはリーバーシティ21が、右には明石町のセントルークスタワーが見える。 |
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八重洲通り 隅田川に架かる中央大橋
月島の高層マンション群のリーバーシティ21に向かう。 |
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中央大橋 南詰で右折、佃公園へ
八重洲通りは、中央大橋を渡ると本来の上野月島線(都道463号) 中央大橋支線となり、中央区の江戸バス(南循環)はこのまま南下する。 |
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中央大橋 南詰で右折、佃公園へ |