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早稲田キャンパス 3号館(政経)裏 キャンパスツアー受付
今までは會津八一記念博物館(旧 中央図書館)横でキャンパスツアーの予約受付をしていたが、今回は初めて3号館(政経)裏に受付が設けられていた。朝の早稲田アリーナでの受付を済ませたあと、不慣れなキャンパス内で場所探しに手間取ったが、13時出発のグループ集合に向かった。
場所は坪内逍遥記念演劇博物館の東隣にある4号館前野特設テント、と案内ガイドには書いてあるが、地理不案内の者から見れば政経の3号館の方が分かりやすい。 |
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早稲田キャンパス 3号館(政経)裏 キャンパスツアー受付
ツアーガイドは文学部2年の桐野みなみさんである。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 3号館裏の階段を上り右折 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 坪内逍遥記念演劇博物館
シェークスピア時代の劇場を模したもので、坪内逍遥や歌舞伎など演劇に関する展示物があり、早稲田の見学コースには必ず上がる。最近は演博(えんぱく)と言われている。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 坪内逍遥記念演劇博物館
正式には早稲田大学坪内博士記念演劇博物館という。
昭和三(一九二八)年十月に坪内逍遙の古稀と「シェークスピヤ全集」の完訳を祝って学界・演劇界の有志千五百名余の協賛により建設された。建築の意匠は逍遙の発案によりイギリスのエリザベス朝(十六世紀後半)の様式で、シェイクスピア時代の劇場フォーチュン座を模して設計されている。
鉄筋コンクリート造、地上三階、地下一階、建坪は約四〇〇平方メートルで、内部は逍遙記念室をはじめ八つの展示室、図書閲覧室がある。
また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており、館の正面は舞台、二階の廊下は上舞台、建物の両翼は桟敷、前庭は一般席となる。
なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語は「全世界は劇場なり」という意味で、シェイクスピア時代の劇場グロープ座に掲げてあった看板の句である。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 坪内逍遥念演劇博物館 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 坪内逍遥記念演劇博物館 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 坪内逍遥記念演劇博物館 坪内逍遥胸像
何時出来たのか知らないが、像の右手と握手すると早稲田と縁が出来、合格する、と言われており、右手はそのため光っている。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 坪内逍遥記念演劇博物館 坪内逍遥胸像
台座上の坪内逍遥胸像は、彫刻家、長谷川栄作氏の原型により昭和三十七年に鋳造されたもので、逍遥の「シェイクスピア講義」の姿である。
また、台座は、早稲田大学後援会事業資金、池田恒雄氏、近桂一郎氏の協力により演劇博物館創立七十周年記念に建立され、歌碑の内容は逍遥を偲んだ會津八一の自筆の和歌である。
むかしひと
こゑも ほらかに
たくうちて
とかしし 於もわ
みえ きたる かも
秋艸道人 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 旧理工学部校舎(6号館)
6号館は演劇博物館の西側にある建物で、通り抜けの通路には「豊明会記念 応用化学実験室」の銘板がある。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 旧理工学部校舎(6号館) |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 6号館を抜けて右折、北上 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 北門でグランド坂通りを渡り、総合学術情報センター(旧 安部球場)へ
かつてあった総合学術情報センター(旧 安部球場) 中央図書館、国際会議場 安部球場に因んでグランド坂通りと言われる。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 中央図書館、国際会議場
早稲田ナショナリズムの権化のような建物で、全体として「W」の文字を描いている。左は中央図書館でかつての図書館(理工学部生は本部図書館と言い、現在の会津八一記念博物館)の重厚さは無いが、落ち着いた設備の整った図書館である。
右は国際会議場、井深大記念大ホールで、井深大は理工学部出身で、ソニーの創業者である。安部球場関連記念碑 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 安部球場関連記念碑
早稲田大学野球部の創設者で、「早稲田の野球の父」である安部磯雄の功績を讃えて作られた球場で、最初の早慶戦とか、出陣学徒の壮行早慶戦など多くのエピソードがある。飛田穂洲は早稲田大学の選手、監督で、「学生野球の父」と称された。
中央に安部磯雄像、左に飛田穂洲像があり、左端の小さな柱は早慶戦百周年記念碑で以下のように書かれている。
早稲田大学野球部の挑戦状を以って始まった早慶戦の第三回戦が一九〇四年十月三〇日当地にて挙行された。
右端の銘板には以下の内容が記されている。
ここにかつて野球場があった。第二次世界大戦前は戸塚球場と呼ばれ、戦後は安部球場と称されて早稲田の歴史を共に歩み、全早稲田人に親しまれてきたグランドである。(以下略) |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 中央図書館 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 中央図書館 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 安部球場関連記念碑 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 早稲田ナショナリズム
車両進入停止線であるが、黄色の直線ではなく、スクールカラーのエンジ色の「W」の形をしている。撮影禁止であるが、中央図書館内のソファーや階段の手すりも「W」となるデザインである。
慶大生は、早稲田には校歌がなく、応援歌が校歌代わりに歌われている、と揶揄する。。言うまでも無く、「都の西北」は「早稲田、早稲田、早稲田」の繰り返しで終わっており、ほとんどの応援歌も同じ形式である。これを早稲田ナショナリズムと称するが、早稲田生はむしろ誇りに思っている。
この他にも喫煙所のタバコまで「W」と、総合学術情報センター界隈には遊び心が溢れている。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 北門から6号館と14,15号館との間を南下 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 北門から6号館と14,15号館との間を南下 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 稲門祭のテントの間を南下 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 突き当りで左折、大隈侯像に向かう |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 大隈侯銅像前 サンバパレード
大隈侯銅像前でサンバの強烈な音楽が鳴り響くも人混みで何が起きているのか分からない。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 大隈侯銅像前 サンバパレード |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 大隈侯銅像前 サンバパレード |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 大隈侯銅像
大隈重信銅像
早稲田大学の前身東京専門学校の創立者で、早稲田大学の初代総長をつとめた大隈重信(一八三八〜一九二二)の銅像である。
早稲田大学創立五十周年を記念して、昭和七年(一九三二)十月に完成したもので、鋳造・彫塑は朝倉文夫(一八八三〜一九六四)の作、桜花岡岩製の台石は桐山均一の手になるものである。
像高は二・八九メートル、台石の高さは二・一二メートルで、角帽にガウンを着た早稲田大学総長の姿をした、晩年の大隈重信を見事に表現している。
なお、朝倉は都合三回(芝公園・大正五年、国会議事堂内中央広場・昭和十三年)大隈重信像を製作しており、この早稲田大学の像は、二回目にあたるものである。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 會津八一記念博物館(2号館 旧中央図書館)
大正14年建設の旧中央図書館だったが、旧安倍球場跡に移転して平成10年に會津八一記念博物館となった。
学生時代、理工学部が現在の早稲田キャンパスから西早稲田に移転して間もなかったこともあって図書館機能が弱く、当時本部図書館と言っていた中央図書館に通った。天井が高く、少しかび臭かったが趣ある建物だった。
館内は撮影禁止であるが、図書館の面影はない。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 稲門祭風景 3号館(政経) 稲門祭パレードステージ
會津八一記念博物館を見学していたら、サンバの凄まじい音楽が鳴り響きガイドの声を聞こえない。大隈侯銅像前をパレードしていたサンバチームが向かいの3号館のステージで演技をしていた。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー メインストリートを東進 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 1号館と3号館の間を進み、3号館に入館 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 3号館 演技を終えて楽屋に戻るサンバチーム
3号館に入ってガイドツアーが説明をしようとしたら大音量のサンバチームが楽屋に戻って行った。流石に演奏はしないものの、踊った興奮が残り騒がしく通り過ぎた。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 3号館 演技を終えて楽屋に戻るサンバチーム |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 3号館 館内に再現された旧3号館風景
3号館ロビーに旧3号館の風景が再現されており、屋上部分には瓦も再現されているとのことである。 |
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早稲田キャンパス キャンパスツアー 1号館 歴史館
3号館前の1号館歴史館前で解散となった。このコースは1時間コースであり、わずか30分の見物であった。今までは中央図書館をじっくりと見たり、大隈講堂などを見物していたが、歴史館を自由に見物してほしい、ということで解散となった。なぜ大隈講堂に行かないのか、不満が残るツアーだった。 |