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目黒雅叙園〜目黒川〜山手通り

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目黒 目黒雅叙園 目黒 目黒雅叙園 

行人坂の中腹にある大圓寺を出て、坂を下りた所の左手に目黒雅叙園があり、入口左手前に工事のため一時撤去されていたお七の井戸がある。

アニメ「千と千尋の神隠し」の舞台のモデル、とも言われたこともあったが、それほど時代がかった結婚式場である。
ちなみに、アニメ「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルは、台湾の台北にある円山大飯店とも言われている。こちらの方がイメージには合っている。
 目黒 目黒雅叙園 「お七の井戸」 目黒 目黒雅叙園 「お七の井戸」 

八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。
吉三はお七の火刑後僧侶となり名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から庭園にかけ明治13年頃まであった。
この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。
 目黒 目黒雅叙園 「お七の井戸」 目黒 目黒雅叙園 「お七の井戸」 
目黒 目黒雅叙園 目黒 目黒雅叙園 
目黒 目黒雅叙園 目黒 目黒雅叙園 

KSNは川崎居住もしくは勤務の55歳以上の会員で、ITを介して豊かな人生を送る、という趣旨の会である。

とは言うものの、平日にのんびりと七福神巡りが出来るのは60歳代後半から70歳代であり、山手七福神巡りとは無関係に目黒雅叙園での大休止を設定している。年齢を考えれば目黒雅叙園が初めての人は稀で、1時間の大休止は長すぎる、との声がないでもなかった。
目黒 目黒雅叙園 館内風景 目黒 目黒雅叙園 館内風景 
目黒 目黒雅叙園 館内風景 目黒 目黒雅叙園 館内風景 
目黒 目黒雅叙園 館内風景 壁画 目黒 目黒雅叙園 館内風景 壁画 
目黒 目黒雅叙園 館内風景 目黒 目黒雅叙園 館内風景 
目黒 目黒雅叙園 館内風景 目黒 目黒雅叙園 館内風景 
目黒 目黒雅叙園 館内風景 目黒 目黒雅叙園 館内風景 
目黒 目黒雅叙園 館内風景 目黒 目黒雅叙園 館内風景 
目黒 目黒雅叙園 館内風景 天井 目黒 目黒雅叙園 館内風景 天井画 

人の好みにもよるが、目黒雅叙園といえばどこもかしこもキンキラキンである。
目黒 目黒川に架かる太鼓橋 目黒 目黒川に架かる太鼓橋 

太鼓橋は1700年代初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人達が資材を出し合って宝暦14年(1764)から6年の歳月を経て完成した。広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ形の石橋は江戸の中でも他に例がなく、目黒の欧風文化の第一号とさえいわれたが、大正9年9月1日に豪雨により石橋が濁流にのまれたため、昭和7年架設された。現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により平成3年11月に完成した。
目黒 目黒川に架かる太鼓橋 目黒 目黒川に架かる太鼓橋 

今の太鼓橋は平坦な普通の橋で、「太鼓」の面影はない。目黒川は前日の台風のため、濁って流量も多い。
目黒川は桜並木で有名であり、4月初めには多くの花見客で賑わう。
目黒 桜並木で有名な目黒川 目黒 桜並木で有名な目黒川 
目黒 住宅街を西進 目黒 住宅街を西進 
目黒 突き当りで左折、山手通りの下目黒二丁目歩道橋を渡る 目黒 突き当りで左折、山手通りの下目黒二丁目歩道橋を渡る 

突き当りの向かい側には蟠龍寺の参道が見える。
目黒 突き当りで左折、山手通りの下目黒二丁目歩道橋を渡る 目黒 突き当りで左折、山手通りの下目黒二丁目歩道橋を渡る 



 
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