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東京メトロ線 千代田線 千駄木駅
千駄木駅〜谷中ぎんざ〜日暮里駅〜谷中天王寺〜谷中霊園〜上野桜木交差点〜東京藝術大学〜上野公園 大噴水〜大噴水前広場〜上野東照宮〜上野公園 さくら通り〜清水観音堂〜不忍池弁天堂〜不忍池 中通り〜湯島駅
【撮影記録】
令和2年 3月 25日 快晴
9:55〜12:15 6,500歩(概算 4.6km 地図上の距離 4.3km)
日に日に患者数が増す新型肺炎ウイルスは高齢者に危険、とのこともあり、2月の河津桜散策以降自宅に閉じ困っていた。しかし、その間に梅の季節は過ぎ、暖冬で桜もあれよあれよという間に満開となってしまい、明後日以降は1週間以上雨模様ということで我慢できずに谷中霊園、上野公園の桜見物に出かけた。
不要不急の外出自粛の風潮ではあるが、当初は飛鳥山、六義園、護国寺、早稲田界隈の神田川、横浜と散策の地図を用意していたのに全て無駄にするのも無念で、家族の反対を押し切って外出した。8分咲き程度でまだ出かけられるが、東京、神奈川の知事の強い自粛要請もあり、これで今年は終わりそうである。 |
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不忍通り 団子坂下交差点で左折、団子坂通りへ |
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団子坂通りを東進
正式には都道神田白山通りであるが、狭い区間ごとにいくつかの通称があり、団子坂下交差点の先は団子坂通りと言われているが、柳通りの看板もある。 |
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団子坂通り 次の交差点で左折、谷中よみせ通りへ
角に蕎麦屋の大島屋があり、目標となる。 |
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谷中よみせ通りを北上 福丸饅頭(名物10円まんじゅう)
1個10円の小さな饅頭で有名な店である。但し10個単位でしか買えないので、実際は100円饅頭(税別)である。初めての人が色々な種類の饅頭を味見したい、とのことで1個単位で注文し、店員から10個単位と聞かされ不満気な顔をするのをよく見かける。
この一帯は谷中よみせ通り商店街ではあるが、コンビニや魚屋などがある普通の商店街である。 |
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谷中よみせ通りを北上 ゲート
よみせ通りは実質的にこのゲートから始まると言ってよく、不忍通りの東側に並行する商店街で、その途中に谷中ぎんざの入口があり、北出口は道灌山通りで右折すると西日暮里駅に向かう。
ゲート中央にはよみせ通りの出口近くにある延命地蔵尊が描かれている。 |
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谷中よみせ通りを北上 |
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谷中よみせ通りを北上 谷中ぎんざ入口 ゲート
谷中よみせ通りの途中に谷中ぎんざの入口があり、普段はガイドマップを片手に中年女性のグループや、中国人、欧米人で溢れ返るが、新型ウイルス{中コロという人もいる}のせいか、閑散としている。 |
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信じられないほど閑散とした谷中ぎんざを東進
時刻は10時過ぎと早いこともあるが、これほど閑散とした谷中ぎんざも珍しい。
去年の4月末の根津神社のつつじまつりの時は見物を終えた人々で賑わっており、同じ場所とは思えない。 |
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信じられないほど閑散とした谷中ぎんざを東進 |
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信じられないほど閑散とした谷中ぎんざを東進 夕やけだんだん
日暮里は江戸時代に「ひぐらしの里」と呼ばれるほど夕焼けの美しい所で、「夕やけだんだん」は一般公募で名付けられた。谷中ぎんざ商店街を舞台としたNHKの連続テレビ小説「ひまわり」(平成8年 松嶋菜々子主演)で有名になった。 |
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谷中ぎんざん坂下 落語演芸 にっぽり館
何度も谷中ぎんざに来ているが、坂下に落語演芸のにっぽり館があるのは知らなかった。いつもは普通の建物であり、幟など見たことがない。 |
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夕やけだんだん坂上を東進
ビルとビルの間の一方通行の細い道は諏訪台通り(初音のみち)で、入って南下すると朝倉彫塑館、赤穂浪士ゆかりの寺 観音寺、長安寺(狩野芳崖墓)、江戸三大美人・お仙ゆかりの寺 笠森稲荷堂などを経て団子坂通りに至る。
道の向かいには上野戦争で敗走してきた彰義隊士を匿い、官軍に銃撃された痕が山門に残る経王寺がある。 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺
経王寺は日蓮宗の寺院で山号を大黒山と称す。
明暦元年(一六五五)、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が要詮院日慶のために寺地を寄進し、堂宇を建立したことに始まるという。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られており、地域の人々の崇敬を広くあつめている。
慶応四年(一八六八)の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 山門に残る上野戦争時の弾痕
大人の親指ほどの大きな穴である。 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 熱中症計はほぼ安全
現在時刻は10:15で、温度22.0℃、湿度は乾燥していて測定できず、熱中症計はほぼ安全である。天気予報では最高気温が15℃で、それなりの服装で散策しているが、暑くなってコートの前面を開けて歩くことにした。、 |
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御殿坂 月見寺(本行寺) |
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御殿坂 月見寺(本行寺)
本行寺は、大永六年(一五二六)江戸城内平河口に建立され、江戸時代に神田・谷中を経て、宝永六年(一七〇九)、現在地に移転した。景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれていた。二十世の日恒上人(俳号一瓢)は多くの俳人と交遊があり、小林一茶がしばしば当寺を訪れ、「青い田の露をさかなやひとり酒」などの句を詠んでいる。 |
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御殿坂 月見寺(本行寺) |
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さくら並木の御殿坂を下る |
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さくら並木の御殿坂を下る
文政十二年(一八二九)に成立した『御府内備考』には、「感応寺後と本行寺の間より根津坂の方へ下る坂なり」とあるが、「根岸」の誤写の可能性がある。明治五年『東京府志料』には、長さ十五間(約二七・三メートル)幡二間(杓三・六メートル)とあるが、現在の坂の長さは五十メートル以上あり、数値が合致しない。以前は、谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが、日暮里駅やJRの線路ができた際に消滅したため、その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隱殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが、根拠は定かではない。 |
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さくら並木の御殿坂を下る |
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御殿坂 日暮里駅 旧駅舎
坂の下に現在の日暮里駅があり、旧駅舎がそのままになっていたが、改修されている。 |