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春日通り 天神下交差点で不忍通りを渡る  |
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不忍通り 天神下交差点 千代田線 湯島駅 
天神下交差点で右折するとすぐ先に湯島駅があり、その先の標識のない交差点で右折すると湯島天神の男坂である。 |
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春日通り 梅まつりの小旗が飾られた商店街を東進  |
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春日通り 上野広小路交差点で中央通りを渡る 
右側に上野松坂屋本館がある。 |
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春日通り パンダの小旗が飾られた商店街を東進  |
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春日通り アメ横商店街  |
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春日通り JR 山手線 御徒町駅 
手前右にほぼ1年前の昨年(平成26年)4月にリニューアルオープンした魚介専門デパートの吉池がある。
古い吉池は春日通りギリギリまで建物があり、古ぼけたビルだった。 |
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春日通り アメ横商店街  |
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春日通り 台東四丁目交差点で昭和通りを渡る  |
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春日通り 台東四丁目交差点で昭和通りを渡る 
首都高1号上野線の高架の先の藤色のビルは安売り店の多慶屋本館で、、「たけいや・・・高えーや」に因んでいる。
店舗数の違いもあり、ドンキホーテほど有名ではないが、春節の爆買いで中国人が殺到した安売り店である。 |
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xd311  |
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春日通り 都営 大江戸線/つくばエクスプレス線 新御徒町駅 
新御徒町駅のすぐ先に清洲橋通りと交差する元浅草一丁目交差点がある。 |
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春日通り 都営 大江戸線/つくばエクスプレス線 新御徒町駅 
新御徒町駅は都営大江戸線とつくばエクスプレス線とが接続している。派手な色遣いの看板がないと新興のつくばエクスプレスの駅であることに気がつかない。
駅の横には佐竹通り(佐竹商店街)の北口がある。 |
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春日通り 佐竹商店街(佐竹通り) 北口 
佐竹商店街はつくばエクスプレス新御徒町駅の南側に延びる、全長約330mの全蓋式アーケードの商店街。秋田藩佐竹家の江戸屋敷跡に、明治に人って見世物小屋や飲食店の屋台などが並んだのが始まりという。
佐竹通りの左(東側)に平行して清洲橋通りがある。 |
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佐竹商店街(佐竹通り)を南下 
江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地である。藩主は佐竹氏で、二十万余石を領有した、東北地方屈指の外様大名であった。佐竹家上屋敷の当地開設年代は、武鑑からみて、元禄二年(一六八九)もしくは翌三年と考えられる。 |
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佐竹商店街(佐竹通り)を南下 
小ぎれいな商店街ではあるが、閑散としている。しかし、いわゆるシャッター街ではない。 |
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佐竹商店街(佐竹通り)を南下  |
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佐竹商店街(佐竹通り)を南下 
佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡
江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地である。藩主は佐竹氏で、二十万余石を領有した、東北地方屈指の外様大名であった。佐竹家上屋敷の当地開設年代は、『武鑑』からみて、元禄二年(一六八九)もしくは翌三年と考えられる。屋敷地は広大で、現在の台東三・四丁目東半分にわたっていた。
佐竹家八代藩主佐竹義敦(号は曙山)は、日本初の本格的西洋医学書の翻訳書『解体新書』(安永三年[一七七四]刊)付図を描いた藩士小田野直武らとともに、洋風画の一派「秋田蘭画」の基礎を築いた。また天明年間(一七八一〜八九)の狂歌師手柄岡持も藩士であり、当時の文化人がここを中心に活躍していたことがうかがわれる。
明治になって佐竹家上屋敷や近隣の武家屋敷が撤去され、当地は野原となり、俗に佐竹っ原と呼ばれた。ここは見世物小屋が集中して賑わったが、明治時代半ばから民家が立ち並び、商店街として発展した。現在、「佐竹」の名は、「佐竹商店街」として継承されている。 |
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佐竹商店街(佐竹通り) 突き当りの佐竹通り南口交差点で清洲橋通りに合流  |
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佐竹商店街(佐竹通り) 突き当りの佐竹通り南口交差点で清洲橋通りに合流 
佐竹通りの左(東側)に平行して清洲橋通りがある。 |