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六義園(正門〜出汐湊〜心泉亭)

【関連サイト】   東京の名園 六義園

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六義園 正門 六義園 正門 

入場料は通常300円、65歳以上の高齢者は半額の150円である。今回は老人週間なので60歳以上と付添人1名は無料で、年齢を証明する資料を提示するだけで入園できる。但し、入園時のチケットはもらえない。
六義園 正門前広場 六義園案内 六義園 正門前広場 六義園案内 

 本園は元禄十五年(一七〇二)武州川越藩主柳沢出羽守吉保が築造した庭園で、江戸の大名庭園中現存する日本で屈指の名園です。昭和十五年八月史跡名勝天然記念物保存法によって名勝の指定を受け、昭和二十八年四月特別名勝となり、日本でも特に優れた名園として、大切に保存されています。
 庭園の形成は江戸時代の庭園にみる所謂回遊式築山泉水庭と呼ばれます。園の中央に池を設け、中島を置き島に妹背山があり、東南部に平坦な芝生、その他の部分には大小多数の築山が起伏し、園の北部に最大の築山藤代峠を設け、各所に桃の茶屋・滝口の茶屋・吟花亭・熱海の茶屋・つつじの茶屋・芦辺の茶屋等あづまやを配しています。その後改修、また今時大戦により焼失したものもあります。またこの庭園の作庭については、吉保自身の培った文芸趣味の思想に基づき、自分から設計七年余りの歳月を費やし池を掘り、山を築き流れを見せて、紀川和歌の浦の景勝を、あるいは「万策集」や「古今集」から名勝を選び園内に八十八景を写しだすという園の構成です。
 「六義園」の名は、中国の古い書物である毛詩に配されている賦・比・興・風・雅・頌の六義に由来する和歌の六体によるもので、吉保自身「むくさのその」と島呼ばせ、館を「六義館」と書いて「むくさのたち」と読ませています。
 このような庭園も吉保が没した後は荒れる一方であったが、文化七年にいたり漸く整備され、明治十年頃付近の藤堂・安藤・前田の各氏邸とともに、岩崎彌太郎氏の別邸の一部となるに及んで再ぴ昔の美しさを取り戻し、昭和十三年岩崎氏から庭園を中心とした三万余坪を市民の鑑賞・休養の地として、東京市に寄贈され同年十月東京市の管理のもとに公開され今日にいたっています。
六義園 正門前広場 東京市石碑 六義園 正門前広場 六義園石碑 

本郷通り沿いの染井門前に以下の様な案内がある。

 本園は元禄15年(1702)武州川越藩主柳沢出羽守吉保が築造した庭園で現存する江戸時代の大名庭園の中で屈指の名園です。昭和15年8月、史跡名勝天然記念物保存法によって名勝の指定を受け、昭和28年3月特別名勝となり、日本でも特に優れた名園として大切に保存されています。
 庭園の形式は江戸時代の庭園にみる所謂、回遊式築山泉水庭と呼ばれます。
 この庭園は柳沢吉保が没した後は、荒れる一方であったが、文化7年にいたり漸く整備され、明治11年頃付近の藤堂・安藤・前田の各氏邸とともに岩崎弥太郎氏の別邸の一部となるに及んで、再び昔の美しさを取り戻し、昭和13年4月岩崎久弥氏から庭園を中心とした3万余坪を市民の鑑賞・休養の地として、東京市に寄贈され同年10月東京市の管理のもとに公開され今日に至っています。

「六義園」の庭園名について
 六義とは詩道の根本を構成する六つの「体」のことである。
  賦(ふ)   感想をそのまま述べたもの
  比(ひ)   例をとって感想を述べたもの
  興(きょう) 外物にふれて感想を述べたもの
  風(ふう)  民間で行われる歌謡
  雅(が)   朝廷でうたわれる雅正の詞藻
  頌(しょう) 宋廟頌徳の詞藻
以上が詩経大序にいう六種の分類であり「六義」といいます。この詩経から因んで「六義園」と名付けられました。
 なお、「六義園」の読み方ですが、築造当時は「むくさのその」とよんでいましたが、現在では漢音読みで「六義」を「りくぎ」と読む習わしから「りくぎえん」と読みます。
六義園 東京市石碑、内庭大門 六義園 東京市石碑、内庭大門 

 昭和十三年に、当時の所有者であった岩崎家の岩崎久弥によって、六義園は東京市に寄付されました。この石碑は、その時の記念として建てられたもので、六義園の成り立ちも記されています。その後は公開された庭園として現在に至っています。
 岩崎家が六義園を所有していたのは、明治維新によって政府に上地されたのち、三菱グループの創始者岩崎弥太郎が明治十一年に手に入れたのが始まりです。その後、岩崎久弥の本邸・別邸として使われたり、あるいは後に総理大臣に就任した政治家幣原喜重郎(岩崎弥太郎の女婿)が、一時仮住まいとしていたこともありました。
 右手の大きな門は「内庭大門」と呼ばれ、岩崎家所有当時の雰囲気を残していますが、現在の門は東京市によって再建されたものです。かつては門をくぐった先のしだれ桜付近に、岩崎家の「御殿」と呼ばれる邸がありました。
六義園 内庭大門 六義園 内庭大門 

 庭園の中心に入るための門で広場にはシダレザクラの大木が植えられている。

正門前の広場から道なりに右手にある門である。左手の木立の横にも目立たないが門があり、宜春亭、心泉亭を経て対岸に妹山・背山がある中の島前に出る。
六義園 内庭 しだれ桜 六義園 内庭 しだれ桜 

満開時には見事であるが、9月なので、しだれ桜というより散髪にも行かずに鬱陶しいザンバラ髪に見える。

シダレザクラ(枝垂桜)
 このシダレザクラは、高さ約十五m、幅約二十mで、「エドヒガシ」という品種が変化したものです。
 戦後植栽されてから、五十年以上が経過しています。
 開花は「ソメイヨシノ」よりもやや早く、三月下旬頃です。
 満開の時期、枝いっばいに見事な花を咲かせた薄紅色の滝のような姿は圧巻です。
六義園 内庭 しだれ桜 六義園 内庭 しだれ桜 

 「シダレザクラ」は、「エドヒガン」という桜の品種の中で、枝が柔らかいために垂れながら成長していく種類のものです。「ソメイヨシノ」より少し早く、お彼岸のころに咲きますが、4月に入ってから満開になる年もあります。
 昭和三十年代に、東京都によって植栽されたもので、樹齢はまだ六十〜七十年ですが、高さ約15m、幅約20mと大きく形もよく成長しています。
 満開時の、薄紅色の滝のような姿は圧巻です。「六義園のしだれ桜」として親しまれ、多いときには一日で三万人以上のお客様にご覧いただいています。
六義園 内庭 新脩六義園碑 四代保光の復旧工事 六義園 内庭 新脩六義園碑 四代保光の復旧工事 

 六義園は作られた当時から評判が高く、完成して四年後の宝永三年(一七〇六)十月には、ついには当時の霊元上皇が、六義園の景勝地「十二境八景」を選び賜り、加えて公家たちの和歌を添えて吉保に下賜しています。上皇が一幕臣の庭園に和歌を贈るというのは極めて異例のことでした。
 これほど評判の高かった六義園ですが、三代目信鴻が没した寛政四年(一七九二)以後は、ほとんどその利用がなく、荒廃していました。そこで、文化六年(一八〇九)、四代保光は、家臣に命じて復旧工事を行いました。このとき、失われた八十八境の石柱を補いましたが、やはり園内にあった「十二境八景」の碑はそのほとんどが失われていました。
 この時に建てられたのが、この「新脩六義園碑」です。この石碑の後面にはこの復旧工事の経緯が、また前面には「六義園八景」の名称が記されています。
   若浦春曙
   筑波陰霧
   吟花夕照
   東叡幽鐘
   軒端山月
   芦辺水禽
   紀川涼風
   士峯晴雪
六義園 内庭 新脩六義園碑 四代保光の復旧工事 六義園 内庭 新脩六義園碑 四代保光の復旧工事 
六義園  内庭から出汐湊へ 六義園  内庭から出汐湊へ 
六義園 出汐湊への散策道 六義園 出汐湊への散策道 
六義園 宜春亭、心泉亭 六義園 宜春亭、心泉亭 

散策道の南側には宜春亭(左)、心泉亭(右)がある。正門から内庭大門に向かわず、左の小道を歩くと宜春亭、心泉亭と経て出汐湊に向かう。
 六義園 「六義園絵巻」に見る「六義園八十八境」 六義園 「六義園絵巻」に見る「六義園八十八境」 
 六義園 「六義園絵巻」に見る「六義園八十八境」 六義園 「六義園絵巻」に見る「六義園八十八境」 

残念ながら摩滅が激しく、断片的にしか読めず、内容が分からない。
六義園 中の島 田鶴橋 六義園 中の島 田鶴橋 
六義園 中の島 妹山・背山 六義園 中の島 妹山・背山 

中の島にある築山で、古くは女性を妹(いも)、男性を背(せ)と呼び、中の島は男女の関係を表す。
六義園 吹上茶屋、臥龍石 六義園 吹上茶屋、臥龍石 

中央に吹上茶屋があり、右の小屋は舟屋で、その少し左に水面にわずかに出ている(それ故分かりにくい)臥龍石がある。
六義園 六義園八十八景の一 心泉跡(こころのいづみあと) 六義園 六義園八十八景の一 心泉跡(こころのいづみあと) 

 作庭された当初この辺に泉がつくられ、ここから流れ出る水が池の中心部に流れていたので、心の泉と名付けられた。

後方の建物は心泉亭である。このまま泉水沿いに歩くと心泉亭、宜春亭を見損ねるので、戻って両亭を見つつ正門前広場に向かう。
六義園 心泉亭 六義園 心泉亭 

閉鎖されており、利用許可がある人だけが入場できる。
六義園 宜春亭 六義園 宜春亭 
六義園 正門前広場前の門 六義園 正門前広場前の門 

広場から来ると、右の立て札(写真では左)に「宜春亭に用のない人は立入禁止」と書かれている。



 
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