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高尾山頂から表参道(1号路)の坂を下る
高尾山頂で散策会としては解散となり、薬王院を見物するため単独行となった。他のメンバーは4号路で吊り橋見物をしてケーブルカーの山上駅に向かう。 |
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表参道(1号路) 道なりに坂を下る
表参道(1号路)は高尾山のメインルートであり、道も整備され、標識なども充実している。
前回は6月末ということもあり、孫を連れた老夫婦や、軽装ハイヒールの女性も散見された。 |
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表参道(1号路) 道なりに坂を下る |
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高尾山 奥之院 不動堂
薬師信仰と飯綱信仰の霊山として名高い高尾山薬王院有喜寺には、数多くの堂宇が建立されてます。不動堂には、それらの諸堂の中でも一番奥まった急峻な尾根上に建立されています。もともとは現本堂の位置にあった護摩堂を明治四三年頃に移築し、不動堂としたものです。不動堂は宝形造(平面形が正方形または八角形で、屋根面が一つの頂点に集まる建造物)の小さな堂宇です。桁行・梁間ともに三間(六。二六m)、四周に高欄を備えた縁をめぐらし、東側に桁行一間(二。一七m)の向拝を設けています。内部の床は拭板張り仕上げで、正面と両側面側が畳敷きとなっています。平成一三年に修理が完了し、外周の柱・縁・建具等は、彩やかな赤漆の色彩が甦りました。建立年代を示す資料はありませんが、建築様式から一七世紀後半頃に建立されたと推定されています。堂内の奥側には、日本の来迎柱を建て、その前に堂と同時代といわれる附の須弥壇がおかれ、室町時代以前の作といわれる「木造不動明王及び二童子立像」(都指定有形文化財)が安置されています。 |
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高尾山 奥之院 不動堂 |
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高尾山 奥之院 階段を下り、本社(飯縄権現堂)へ |
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高尾山 奥之院 階段を下り、本社(飯縄権現堂)へ |
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高尾山 薬王院 本社(飯縄権現堂)
寺の建立は、薬王院縁起によれば、天平一六年(七四四)行基が勅命を奉じて、本尊薬師如来を安置したのに始まるとありますが、後の永和年間(一三七五〜七九)に沙門俊源が飯縄の神を安置して中興し、これにより高尾山の信仰は世に広められたと伝えられています。権現堂の建立は棟札によると、本殿は享保一四年(一七二九)に建立され、宝暦三年(一七五三)に拝殿、幣殿が再建され、当時の本殿は独立していたものと推測されます。後の文化二年(一八〇五)の修理の際に、本殿と幣殿屋根は連結されて権現造の形式になったと考えられます。拝殿は、木造、単層、屋根は入母屋造、銅板葺、三間四面の堂に廻り縁を付け、組物、彫刻などには彩色が施されています。これらの組物、彫刻などは江戸時代中期の社殿建築として優れた技術がうかがわれ、この頃の権現造として優秀なものです。 |
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高尾山 薬王院 本社(飯縄権現堂) |
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高尾山 薬王院 本社から階段を下る |
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高尾山 薬王院 本堂 |
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高尾山 薬王院 仁王門
三間一戸八脚門、一重、寄棟造り。間口の寸法は三.六三メートル、奥行ニ.七二メートルある。 高尾山不動堂(薬王院奥の院)が寛永年間の建築であり、鐘楼にかける銅鐘が寛永九年(一六三二)の鋳造であるところから、この門も大体、江戸初期の創建と考えられる。昭和三四年の伊勢湾台風により破損を受け復元した。 仁王像を安置してあり、その胎内収蔵木札銘に「貞享元甲子年六月吉祥日、奉再営仁王当山本尊茶師堂 延宝五年十一月晦日煙焼、其時……」とある。 |
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高尾山 薬王院 御守授与所
高尾山らしく天狗がらみのお守りがある。 |
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高尾山 薬王院 大小天狗像
中興開山630年記念で設けられた。 |
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高尾山 薬王院 山門(四天王門)
持国天(東方)、増長天(南方)、広目天(西方)、多聞天(北方)の四天王が祀られている。 |
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高尾山 薬王院 山門(四天王門) |
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高尾山 薬王院 表参道 十善戒
不殺生 あらゆる生命を尊重しよう 不偸盗 他人のものを尊重しよう 不邪婬 お互いを尊敬しあおう 不妄語 正直に話そう 不綺語 よく考えて話をしよう 不悪口 優しいことばを使おう 不両舌 思いやりのあることばを話そう 不慳貪 惜みなく施しをしよう 不瞋恚 にこやかに暮らそう 不邪見 正しく判断しよう |
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高尾山 薬王院 表参道 杉木立
杉の苗木を寄贈した人の名前が延々と続く。その中に十善戒が掲げられている。 |
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高尾山 薬王院 表参道 杉木立 |
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高尾山 薬王院 表参道 天狗の腰掛け杉
高尾山に住むと伝えられる「天狗様」が腰掛けて物見をしてござると語り伝えられるのがこの大杉。天狗様は高尾山の精霊とも言うべき存在で、御本尊飯縄大権現の信仰の霊域を護るため、この大杉の高みの枝に腰掛けて登山参詣の人々を見守ってござる。と云うのである。 天狗様は高尾山の生きとし生ける物を代表する正義の味方。それを宿す御霊木である樹齢七百年以上と言われる注連縄の懸けられた杉の木を大切に守ってゆきたい。 |
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高尾山 薬王院 表参道 天狗の腰掛け杉 |
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高尾山 薬王院 表参道 句碑
表参道の山側には有名、無名を問わず多くの句碑が並んでいる。 |
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高尾山 薬王院 表参道 百八の石の階段
この石段は百八段あります。 百八とは、人間の限りない悩みや苦しみの煩悩を意味するものです。 ご本尊様の加護により、かかる苦しみ 悩みを踏み越えられるよう、一歩ずつ
「なむ、いづなだいごんげん」と念じながら、この石段をお登りください。
下からよりも上から見た方が急坂に見えるが、実際に歩くとそれほど急でもない。「百八」という数ほど長くも感じなかった。 |
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高尾山 薬王院 表参道 百八の石の階段 |
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高尾山 薬王院 表参道 神変堂
こちらに並ぶ二匹の鬼の像はむかって右側が前鬼(妙童鬼)左側に後鬼(善童鬼)といいます。 その昔赤目と黄口という鬼の夫婦が現われて村の子供をさらっていきました。村人に相談された役行者(神変大菩薩)はたちまちに山奥の鬼の住処を探すと反対に鬼の子供を一匹隠してしまいました。それに気付いた鬼の夫婦は怒って役行者に襲ぃかかりますが役行者の験力にかなう筈がありません。たちまちに降参した鬼の夫婦は心を悔い改めて人の為に尽す心を持つのを条件に子供を返してもらいそのまま役行者の従者として仕えるのを誓いました。 赤目は前鬼(妙童鬼)となり水瓶を持ち役行者の山中修業にはかかせない水を汲み黄口は後鬼(善童鬼)となり背中に笈を担ぎ手には斧を持ち役行者が修業をする道を切り開き薪を切り役行者に尽くすのです。この前鬼・後鬼の像は自分の為ではなくまず先に人々の救済そして幸せを願うという心すなわち菩提心を表わすと共に人に尽くし許しあい信じあう仏の慈悲を象徴する姿でございます。 |