東陽町〜州崎神社〜越中島
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四ツ目通りから永代通りへ 東陽町駅前交差点を少し過ぎ右折、永代通りに沿った横道を歩く。 |
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州崎緑道公園 東陽町駅前交差点から少し西進した所にある。この付近一帯を深川州崎十万坪と言う。江戸時代はこの辺りは埋立地で、荒涼とした湿地で海に面しており、土地を拡張し続けた。ある意味ではそれが大津波の悲劇を生んでいる。 今は埋立地とか、海に面していると言う面影は全く無い。現代でもゴミ捨て場だった夢の島が、JR京葉線/東京メトロ(旧営団)有楽町線の新木場駅前の立派な公園になっている。 |
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州崎神社 徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の守り神として崇敬され、元禄13年(1700年)に江戸城中より遷された。 |
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州崎神社 波除碑 寛政3年(1791年)9月4日、深川州崎一帯を襲った台風による高潮により、付近一帯の家屋がことごとく流され、多くの死者、行方不明者が出た。幕府は州崎弁天社から西の一帯の東西285間、南北30余間、総面積5万5千坪余りを買い上げ空き地とし、これより海側に人が住むことを禁じた。そして空き地の東北地点(州崎神社)と西南地点(平久橋袂)に波除碑を建てた。当時は高さ6尺、角1尺であったが、材質が砂岩で脆く、関東大震災と戦災で破損が著しい。 |
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州崎神社 波除碑 | |
州崎神社 由緒 | |
州崎神社 | |
平久川 さすがに深川は大小を問わず川が多い。 |
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平久橋 波除碑 州崎神社の波除碑と対を成す。 |
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平久橋の袂にある碑 手前から、上部2/3が失われた平久橋の碑、戦災殉難者供養塔、津波警告の碑、波除碑である。 |
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古石場川親水公園 | |
四世鶴屋南北宅跡 元々は役者で、四谷怪談などの作者として有名である。牡丹町公園傍の黒船稲荷神社にあるが、赤い幟が林立し、この碑が分かり難い。 |
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左折し、清澄通りへ | |
JR 越中島駅 道路の反対側には東京海洋大学(旧東京商船大学)がある。 |
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ゴールは越中島駅 |