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浅草寺 開催準備中の時代祭風景 
浅草は、浅草寺に代表される下町観光のハイライト。東京スカイツリーも近く、隅田川にかかる吾妻橋周辺は格好の記念撮影スポットになっている。浅草寺を囲むように広がる商店街には老舗も多く、下町情緒を味わいながらの散歩が楽しい。 |
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浅草寺 開催準備中の時代祭風景 
時代祭は平成元年から始められ、浅草に関係する飛鳥時代からの絵巻を奉納舞や、行列で表現する。在原業平や、江戸開府の徳川家康などが登場する。 |
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浅草寺 開催準備中の時代祭風景  |
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浅草寺 観音堂  |
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浅草寺 開催準備中の時代祭風景  |
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浅草寺 観音堂  |
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浅草観音堂裏交差点から左折、言問通りへ  |
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言問通り 浅草寺病院前交差点 雷5656会館 
雷5656会館は、雷門左手にある常盤堂雷おこし本舗の店である。 |
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言問通り ひさご通り入口 
ひさご通り入口は、西浅草三丁目交差点の手前で、花やしき手前まで続く。言問通りを挟んで反対側は千束通りである。 |
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言問通り ひさご通り入口  |
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言問通り 西浅草三丁目交差点で国際通りを渡る 
右折すると酉の市で有名な鷲神社である。 |
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言問通り 金竜小学校前交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る 
台東区のコミュニティバス南めぐりんはかっぱ橋道具街通りを北上し、この交差点を左から渡り、生涯学習センター北バス停で北めぐりんと乗り換えられる。北めぐりんは言問通りを反対側から来て、交差点を左折(写真では右折)する。 |
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言問通り 仲入谷交差点  |
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言問通り 入谷交差点で昭和通りを渡る  |
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言問通り 入谷鬼子母神 
入谷交差点を渡ってすぐの所にあり、「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる。7月の入谷朝顔市ではこの界隈は大変な人混みとなる。 |
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言問通り 朝顔市が開催される入谷鬼子母神前歩道 
普段はどうといった所もない歩道であるが、朝顔市では両脇に露店が並び、観光客が歩くのも大変である。 |
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言問通り 根岸一丁目交差点 
北めぐりんは、言問通りを鶯谷駅方向から来てこの交差点で左折(写真では右折)し、金杉通りに向かう。 |
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言問通り 鶯谷駅前交差点 
交差点手前から自動車専用の緑色の寛永寺陸橋が始まり、歩行者はその下を進む。 |
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突き当りで階段を上り、寛永寺橋へ  |
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言問通り JR跨線橋の寛永寺橋を渡る  |
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言問通り JR跨線橋の寛永寺橋  |
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言問通り 寛永寺坂 
大正年間(一九一二〜二五)発行の地図からみて、この坂は同十年ごろ、新設されたように推察される。当初は鉄道線路を踏切で越えていた。現在の跨線橋架設は昭和三年(一九二八)八月一日。名称は寛永寺橋である。坂の名をとったと考えていい。坂の名は、坂上が寛永寺境内だったのにちなむという。寛永寺は徳川将軍の菩提寺だった。坂上、南に現存。 |
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言問通り 寛永寺坂  |
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言問通り 上野桜木交差点 
台東区北西部の高台に位置する静かな住宅街。寛永2年(1625)、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願して、江戸城の鬼門に当たるこの地に寛永寺が建立された。界隈には地名の通り桜が多く、周囲の上野公園、谷中とともに桜の名所となっている。 |
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言問通り 谷中六丁目交差点 
東西めぐりんは、上野公園からこの交差点で出てきて右折、谷中霊園に向かう。 |
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言問通り 善光寺坂を下る 
谷中から文京区根津の谷に下りる坂には、この坂と北方の三浦坂・あかぢ坂とがあり、あかぢ坂は明治以後の新設である。
善光寺坂は信濃坂ともいい、その名はこの坂上の北側にあった善光寺にちなむ。善光寺は、慶長六年(一六〇一)信濃善光寺の宿院として建立され門前町もできた。寺は元禄十六年(一七〇三)の大火に類焼して、吉田(現港区青山三町目)に移転し、善光寺門前町の名称のみが明治五年まで坂の南側にあった。
善光寺坂のことは、明和九年(一七七二)刊行の「再校江戸砂子」にも見え、『御府内備考』の文政九年(一八二六)の書上には、幅二間(約三・六メートル)、長さ十六間(約二九メートル)、高さ一丈五尺(約四・五メートル)ほどとある。 |
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言問通り 根津一丁目交差点で右折、不忍通りへ  |