御茶ノ水駅〜湯島聖堂〜神田明神〜湯島天神


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御茶ノ水駅〜湯島聖堂〜神田明神〜湯島天神〜旧岩崎邸庭園〜東京大学〜根津神社〜白山神社〜樋口一葉旧居跡〜水道橋駅(総行程 12.0km)
受付風景 御茶ノ水駅 臨時改札口 受付風景 御茶ノ水駅 臨時改札口 
聖橋から見た湯島聖堂 聖橋から見た湯島聖堂 
聖橋から見た御茶ノ水駅 聖橋から見た御茶ノ水駅 
湯島聖堂 大成殿(孔子廟) 湯島聖堂 大成殿(孔子廟) 

儒学者一林羅山の上野忍岡の私邸にあった廟殿と林家の家塾を、5代将軍綱吉が元禄3年(1690)、現在地に移し大成殿と改称。孔子像と四賢像を安置し、聖堂の西側には御成殿や学寮を設置した。寛政9年(1797)、老中松平定信が幕府直轄の昌平坂学問所を開設し、たくさんの学者を輩出した。
湯島聖堂 案内図 湯島聖堂 案内図 
神田明神 随神門 神田明神 随神門 

大己責命(だいこく様)、少彦名命(えびす様)、平将門命の三柱を祭神とし、家庭円満、縁結び、商売繁昌、事業繁栄の守護神として親しまれている。現在地は江戸城の表鬼門にあたり、江戸総鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が築かれた。
神田明神 社殿 神田明神 社殿 
神田明神 銭形平次碑 神田明神 銭形平次碑 

銭形の平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公である。
平次の住居は、明神下の元の台所町ということになっている。
神田明神 銭形平次碑 神田明神 銭形平次碑 
神田明神 銭形平次碑 神田明神 銭形平次碑 
神田明神 裏参道 神田明神 裏参道 
神田明神 裏参道 神田明神 裏参道 

裏参道から出て左折、蔵前橋を西進する。
おりがみ会館 おりがみ会館 

蔵前橋通り沿いにあり、101匹ワンチャン大行進が折られて展示してある。おりがみや和紙人形の展示や、教室、染色工房などを開催。
おりがみ会館 おりがみ会館 
サッカー通り サッカー通り 
日本サッカーミュージアム 日本サッカーミュージアム 
霊雲寺 霊雲寺 

五代将軍徳川綱吉は、深く帰依した浄厳覚彦を開山として徳川家のため、天下泰平、武運長久の祈願寺として元禄四年(一六九一)創建した。
霊雲寺 霊雲寺 
霊雲寺 霊雲寺 
湯島天神 梅まつり 湯島天神 梅まつり 
町名由来 旧湯島天神町 町名由来 旧湯島天神町 

むかしは、湯島天神の境内であった。 慶長19年(1614)町屋を開き、寺社奉行の支配を受けたが、寛文4年(!664)から町奉行支配となった。
 湯島天神の前なので、湯島天神前町と称えた。 明治2年、天神下宝性院門前と天神社地門前を併せて湯島天神町とした。 同5年、天神下同朋町、湯島三組町の一部、旧板倉藩屋敷、その他の武家地を併せて、湯島天神1〜3丁目とした。 江戸時代から湯島天神(明治以後湯島神社)の門前町としてにぎわった。
 湯島天神 表鳥居 湯島天神 表鳥居 

この鳥居は銅製で、寛文7年(1667)同8年の刻銘があり、この時期に寄進された物です。
数度の修理を重ねて維持されてきましたが、都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、製作も優秀なもので、昭和45年8月に東京都指定有形文化財に指定されました。
 湯島天神 表鳥居 湯島天神 表鳥居 
湯島天神 本殿 湯島天神 本殿 

雄略天皇の勅命により御宇2年(458)創建と伝わる古社。天手力雄命と菅原道具公を祀る。のちに太田道濯が再建、徳川家康が江戸城に入る時、泰平永き世が続き文教大いに賑わうようにと豊島郡湯島郷内に5石の朱印地を寄進し信仰した。以後、学者・文人の参拝がたえることなく、「学問の神様」として今なお信仰を集 めている。
湯島天神 紅梅 湯島天神 紅梅 
湯島天神 泉鏡花 筆塚 湯島天神 泉鏡花 筆塚 
湯島天神 梅林 湯島天神 梅林 

さすがにまだ早く、咲いているのは紅梅が1本だけだった。
湯島天神 白梅 湯島天神 白梅 

湯島天神の春日通側にある夫婦坂手前にある。

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