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        小石川後楽園 八つ橋、杜若(かきつばた)   
                 
                冬なので単なる泥田にしか見えないが、初夏になると杜若が見ものである。 | 
      
      
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                小石川後楽園 愛宕坂   
                 
                 京都愛宕山の坂にならって造られたもので四十七段の石段からなっている。 
                 
                説明は京都だが、同じ「愛宕」でも急坂で知られた芝愛宕神社の出世の石段を思い起こした。 | 
      
      
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        小石川後楽園 円月橋   
                 
                 朱舜水の設計と指導により名工「駒橋嘉兵衛」が造った。橋が水面に映る形が満月になることからこの名がつけられた。後に八代将軍吉宗が江戸城吹上の庭に造ろうとしたが遂に果たせなかったといわれている。 | 
      
      
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        小石川後楽園 円月橋   | 
      
      
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        小石川後楽園 円月橋   | 
      
      
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        小石川後楽園 円月橋   
                 
                英文の説明であるが、日本語の説明の内なぜ円月橋といわれるのかが記されている。 | 
      
      
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        小石川後楽園 休憩所   
                 
                小石川後楽園の北西角に当たり、塀の裏には後楽園公園の野球場がある。 | 
      
      
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        小石川後楽園 休憩所から右手に進む   | 
      
      
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        小石川後楽園 休憩所前 萱門跡   
                 
                 門外に水車を設け神田上水を汲み上げ小廬山側に通したといわれる。この門は戦災により焼失した。 | 
      
      
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        小石川後楽園 大泉水、一つ松   | 
      
      
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        小石川後楽園 西門への出口   
                 
                門を出て左に西門側の入場券販売所がある。入場した正門(東門)は通常閉鎖されており、西門がふだん利用されるため団体客などで溢れていた。 | 
      
      
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        小石川後楽園 西門   | 
      
      
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        小石川後楽園 園案内   
                 
                 本園は、江戸時代初期徳川御三家の一つである水戸家の祖、徳川頼房が寛永六年(一六二九年)この庭園を造りました。当時京都に於て完成した廻遊式庭園を模範とし、京都風の庭園に自然風の手法を加えて造ったものです。二代目藩主光圀も自己の趣味を庭園の築造に生かし、特に、隣国明の遺臣で我が国に亡命していた朱舜水を用い、手を加えて現在のような中国趣味豊かな庭が出来たものです。また、朱舜水に園名を選ばせ後楽園と称しました。 
昭和二十七年三月、文化財保護法により、特別史跡及び特別名勝に指定されている日本でも屈指の名園であります。 | 
      
      
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        小石川後楽園 西門 園内案内図   | 
      
      
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        小石川後楽園 西門   |