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不忍通り 大塚三丁目交差点から富士見坂を下る |
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不忍通り 大塚三丁目交差点から富士見坂を下る
坂上からよく富士山が見えたので、この名がある。高台から富士山が眺められたのは、江戸の町の特色で、区内には同名の坂が他に二ヶ所ある。坂上の三角点は、標高28.9mで区内の幹線道路では最高地点となっている。むかしは、せまくて急な坂道であった。大正13年(1924)10月に、旧大塚仲町(現・大塚三丁目交差点)から護国寺前まで電車が開通した時、整備されて坂はゆるやかになり、道幅も広くなった。また、この坂は、多くの文人に愛され、歌や随筆にとりあげられている。
とりかごをてにとりさげてともわがとりかひにゆくおほつかなかまち
会津八一(1881〜1956)
この道を行きつつ見やる谷越えて蒼くもけぶる護国寺の屋根
窪田空穂(1877〜1967) |
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不忍通り 護国寺 惣門 |
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不忍通り 護国寺 惣門
この惣門は、護国寺の方丈への軸線上にあり、寺院の門と共に住宅の門 という、性格をあわせもっている。形式は、社寺系のものではなく、江戸時代武家屋敷門の五万石以大の大名クラスの、格式に相当する形式と偉容をもっている。当寺が幕府の厚い疵護のもとで、高い格式を保持した歴史を反映している。大名屋敷表門で現存するものは、いずれも江戸時代後期のものであるのに対して、この門は、中期元禄年間のもので、特に貴重な文化財である。 |
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不忍通り 護国寺前交差点
三差路で、左折して音羽通りを南下すると最近で一番の愚宰相鳩山一族の鳩山会館を経て、江戸川橋である。第2位は言うまでもなく菅で、まもなく野田も名を刻むであろう。 |
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護国寺
天和元年(1681)、徳川綱吉の生母桂昌院の発願により、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊として建立。明治・大正時代の火災で多くの堂宇を失ったが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、近江三井寺より移築された月光殿は、桃山期の建築美を今に伝えている。ともに国指定重要文化財。
護国寺を東日本大震災直後の4月に訪れた時は、大隈重信、山縣有朋の墓が倒壊していた。 |
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不忍通り 護国寺西交差点で右折、都道音羽池袋線へ
都道音羽池袋線(都道435号)は不忍通りと合流、次の護国寺交差点で分離して音羽通りとなる。 |
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都道音羽池袋線 小篠坂(小笹坂)を上る
豊島区と境を接する坂である。この坂道は、江戸のころ、護国寺の北西に隣りあってあった幕府の御鷹部屋御用屋敷から、坂下の本浄寺(豊島区雑司が谷)に下る道として新しく開かれた。往時は笹が生い繁っていたことから、この名がついたものであろう。
坂下一帯は、文京の区域を含めて、住居表示改正まで、雑司が谷町とよばれていた。近くの目白台に長く住んだ「窪田空穂」は、次のようによんでいる。
雑司が谷 繁き木立に降る雨の
降りつのりきて 音の重しも |
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都道音羽池袋線 都電荒川線 東池袋四丁目駅
この駅は早稲田行きで、三ノ輪橋行きは都道音羽池袋線の向かい側にある。 |
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都道音羽池袋線 エアライズタワー前で右折
東京メトロ有楽町線の東池袋駅傍のエアライズタワー手前の交差点で右折する。 |
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サンシャインシティ 文化会館前を北上 |
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突き当りの東池袋二丁目交差点で右折、春日通りへ |
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春日通り 向原交差点で左折、都電荒川線沿いに北上 |
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都電荒川線沿いに北上 |
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都電荒川線沿いに北上
荒川線のフェンス沿いに様々な色のバラが咲き誇っている。 |
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都電荒川線 大塚駅前 天祖神社 |
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JR 大塚駅前で左折、山手線沿いに坂を上る |
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突き当りの空蝉橋南交差点で右折、空蝉橋通りへ |
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空蝉橋通り JR跨線橋の空蝉橋を渡る |
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空蝉橋通り 空蝉橋からの風景
下に大塚駅のホームが見え、遠くに東京スカイツリーが見える。 |
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空蝉橋通りを北上 |
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空蝉橋通り 空蝉橋北交差点で宮仲公園通りを渡る
小石川では千川通りと呼ばれる癌研通りは、平成21年に宮仲公園通りと改称された。横断して向かいのオリックスレンタカー横の小道を進む。 |