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JR 山手線 品川駅 受付風景
品川駅〜旧東海道 北品川宿〜京急 新馬場駅〜荏原神社〜旧東海道 南品川宿〜品川寺〜聖蹟公園〜利田神社・鯨塚〜品川浦船だまり〜天王洲橋〜港南公園〜品川セントラルガーデン〜品川駅(総行程 7.6km)
【撮影記録】
平成22年 11月 6日 快晴
09:05〜10:50 10,500歩(概算 7.4km)
快晴で、温度も18℃を越して半袖でも十分だった。品川駅から青物横丁の先の品川寺まで旧東海道を往復し、天王洲アイルにある港南公園に寄って、最後は港南口の高層ビル群の間の品川セントラルガーデンを通るコースである。 |
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JR 品川駅 高輪口で左折、第一京浜へ |
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第一京浜 品川駅前 品川プリンスホテル |
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第一京浜 品川駅の新名所 品達
京急のガード下を使ってラーメン店を集めたもので、お台場のラーメン国技館とは違い、店の定期的な入れ替えは無い。しかし、店によって流行り廃りは結構あり、昼休みの列の長さに如実に現れる。
以前はラーメンだけだったが、今はさらに丼物も加わっている。 |
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第一京浜 八ツ山橋交差点で左折、八ツ山通りへ |
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八ツ山通り 八ツ山橋
JRの跨線橋で、渡った所に京急の踏切がある。 |
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八ツ山通り 八ツ山橋踏切手前で右折 |
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八ツ山橋踏切 東海道品川宿 まち歩きマップ
左の赤印が現在地で、青物横丁を経て、右端は鈴ヶ森刑場跡がある大森海岸駅までのマップである。 |
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旧東海道 品川宿 入口
京急の踏切があり、旧東海道(品川宿)入口の看板がある。右奥に京急北品川駅が見える。 |
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旧東海道 品川宿(北品川宿)を南下 |
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旧東海道 品川宿(北品川宿) 問答河岸跡
右角にある木板に刻まれた説明であるが、風雨による劣化が激しく、読みにくい。以下の文で、カッコ内は原文での表記である。
寛永の昔、徳川三代家光将軍 勇壮闊達(活達)の名君也。宗彭沢庵禅師に帰依して品川に萬松山東海寺を建つ。
以下に色々と書かれているが判別は難しい。 |
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旧東海道 品川宿(北品川宿) お休み処 |
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旧東海道 品川宿(北品川宿) 品海公園
「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の五十三の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。
旅人は、品川宿を経由して西を目指し、、また家路についた事から「東海道の玄関ロ」として栄え、宿内の家屋は一六〇〇軒、人口七〇〇〇人規模で賑わっていた。
今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かっての宿場町としての活気が息づいている。 |
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旧東海道 品川宿(北品川宿) 品海公園 |
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旧東海道 品川宿(北品川宿) 一心寺(寿老人)
黄色のパーカを着た係員が一心寺を示している。参拝後、反対側の小道に向かう。 |
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旧東海道 品川宿(北品川宿) 一心寺(寿老人)
安政二年(西暦一八五四年)日本開国之機運高まり国運の境目に接面し時、大老職にある井伊直弼公が縁起に依り江戸台場の沿革東海道第一の品川宿にて鎮護日本、開国条約、宿場町民の繁栄安泰の願へとの霊験を悟り開山され、時の町民代表一同に依って建立されたと伝えられております。 |
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旧東海道 品川宿(北品川宿) 養願寺(布袋尊)
一心寺の向かいの小路を進むと突き当りに養願寺がある。参拝後、左の小道を進む。
養願寺は、正安元年(1299)創建の天台宗の寺。本尊は虚空蔵菩薩で、丑・寅年生まれの守本尊として信仰を集める。 |
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突き当りを右折、サクセス品川商店街へ |
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サクセス品川商店街(新馬場北口通り)を進む |
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サクセス品川商店街(新馬場北口通り) 突き当りの北品川三丁目交差点を左折、第一京浜へ
交差点を渡った所に東海七福神の一つで、大黒天の品川神社がある。境内には品川富士と言われる富士塚がある。 |
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第一京浜 京急 新馬場駅 |