花園神社〜西向天神社〜稲荷鬼王神社
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新宿5丁目東交差点で左折、靖国通りへ | |
靖国通りを西進 | |
明治通りを渡り、西進 | |
花園神社 | |
花園神社 厄年は満年齢か、数え年かが気になっていたが、どこの神社も満年齢が本厄である。 |
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花園神社 花園神社(新宿富士) 大和国吉野山から勧請した稲荷社が始まりで、甲州街道宿場・内藤新宿の鎮守として栄えた。しばしば火災に遭って焼失し、復興資金を集めるために芝居小屋を境内に設け人気を博した。境内入□付近に高さ1.5mほどの小さな富士塚がある。 この富士塚が分らず、迷ってあきらめた人が多かった。 |
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四季の路 都電13番線の跡地に作られた遊歩道公園。繁華街の真ん中にありながら雑木林の面影のある緑が豊かに盛り込まれて、散策や憩いの場所となっている。 |
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新宿6丁目交差点で、明治通りを渡る 文化センター通りを歩き、抜き弁天に向う。 |
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文化センター | |
西向天神社(東大久保富士) 文化センターを過ぎて小道を右折していくため、分りにくい場所にある。 |
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西向天神社(東大久保富士) 日之尊 境内を色々と探したが、富士塚、と銘打ったものはない。しかし、その横に富士山廿六夜講社関連の碑がある。 |
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西向天神社(東大久保富士) 富士山廿六夜講社 再築記念碑 | |
西向天神社(東大久保富士) 大東亜戦争 戦没者慰霊碑 日露戦争の慰霊碑は珍しくないが、大東亜戦争の慰霊碑は珍しい。 |
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西向天神社(東大久保富士) 社殿が太宰府天満宮の方角である西向きに建つことからその名がついた。束大久保村の鎮守として親しまれ、境内には石像物などの文化財や、富士塚がある。 |
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西向天神社(東大久保富士) 山吹坂 この坂上の大聖院境内にある「紅皿の碑」にちなみ、こう呼ばれるようになった。紅皿は太田道灌の山吹の里伝説で、雨具がないことを古歌に託して、道灌に山吹の一枝を捧げた女性である。 「坂」と言うほどもなく、小さな階段である。 |
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西向天神社(東大久保富士) 紅皿の碑 | |
西向天神社(東大久保富士) 紅皿の碑 太田遺漏の山吹の里伝説に登場する紅皿の墓であると伝えられる板碑である。造立年代は不明であるが、十三仏板碑が盛んに造られた十五世紀後半であると思われる。 紅皿は、太田道灌が高田の里(現在の面影橋のあたりとされる)へ鷹狩に米てにわか雨にあい、近くの農家に雨具を借りようと立寄ったところ、その家の少女が庭の山吹の一枝をさし出して断った。 これが縁となり、道灌は紅皿を城にまねき歌の友とした。道灌の死後、紅皿は尼となって大久保に庵を建て、死後その地に葬られたという。 新宿中央公園に山吹の故事を表した久遠の像がある。 |
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西向天神社(東大久保富士) 紅皿の碑 十二代守田勘弥らの寄進した石碑 後年、芝居で演目とされたため、十二代守田勘弥らの寄進した石碑類が並んでいる |
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抜弁天(厳嶋神社) 新宿山の手七福神の弁財天を祀る。境内は南北に通り抜けできるようになっており、苦難を切り抜けられるための弁天社として庶民の信仰を集めた。 |
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抜弁天(厳嶋神社) | |
抜弁天(厳嶋神社) | |
職安通りを西進 職安通りの地下には大江戸線が走っている。 |
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都営地下鉄 大江戸線 東新宿駅 大江戸線の東新宿駅界隈の職安通りは、有名なコリアンタウンであり、町のあちこちの表記も諺文が併記されている。 |
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稲荷鬼王神社(西大久保富士) 江戸時代から豆腐を備えれば、湿疹・腫れ物に特効があるとされた。邪鬼の頭上に手水鉢をのせた珍しい水鉢がある。本殿左奥の富士塚は昭和43年の社務所再建の際に分けられて現在は2つの山にわけて間の参道を富士山の胎内に通じる道に見立てている。 |
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稲荷鬼王神社(西大久保富士) | |
稲荷鬼王神社(西大久保富士) 富士塚 | |
稲荷鬼王神社(西大久保富士) 富士塚 |
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