鳥越神社〜東京都慰霊堂〜両国
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江戸通りを越え、蔵前橋通りを東進。 江戸通りを越え、蔵前橋通りを東進。 
江戸通りを越え、蔵前橋通りを東進。 江戸通りを越え、蔵前橋通りを東進。 
浅草御蔵跡 浅草御蔵跡 

蔵前橋手前にある。浅草御蔵は幕府が天領からの年貢米や買上米を収納、保管した。浅草御蔵の前を御蔵前と言い、蔵米を取り扱う米問屋や札差の店が立ち並んでいた。蔵前と言う町名が出来たのは昭和9年である。
浅草御蔵跡 浅草御蔵跡 
蔵前橋から見た隅田川上流 蔵前橋から見た隅田川上流 
右折して清洲通りへ。 右折して清洲通りへ。 
東京都慰霊堂(横網町公園) 東京都慰霊堂(横網町公園) 

旧陸軍被服廠跡で、関東大震災で約4万人がこの地で焼け死んだため、震災慰霊堂が作られた。合わせてその後の復興を記念する復興記念館も建てられた。その後、約10万人が焼け死んだと言われる昭和20年3月10日の東京大空襲の身元不明者も合わせ、約17万人の遺骨が安置されている。名称も、昭和26年に東京都慰霊堂となった。
私が子供の頃、祖母から生まれて間もない母を背負い、幼子3人の手を引いて下町を逃げ惑ったと大震災の話をよく聞かされた。
東京都慰霊堂(横網町公園) 東京都慰霊堂(横網町公園) 
東京都慰霊堂 東京都慰霊堂 
震災時の猛火と熱風で溶解した丸善ビルの鉄柱 震災時の猛火と熱風で溶解した丸善ビルの鉄柱 
復興記念館 復興記念館 
復興記念館 復興記念館 
東京大空襲犠牲者追悼の碑 東京大空襲犠牲者追悼の碑 
東京大空襲犠牲者追悼の碑 東京大空襲犠牲者追悼の碑 
江戸東京博物館 江戸東京博物館 
開催中の新撰組展 開催中の新撰組展 
江戸東京博物館に隣接する日大一高 江戸東京博物館に隣接する日大一高 

日大一高は、兄弟校の三高と共にかっては甲子園の常連校だった。
江戸東京博物館がゴール地点 江戸東京博物館がゴール地点 

大江戸線両国駅に隣接しているが、JR両国駅は離れている。
勝海舟生誕地の碑 勝海舟生誕地の碑 

本所警察署の裏にある両国公園の西南の隅にある。この地に幕末の剣豪男谷家の家があった。海舟の父小勝は、男谷家から勝家に養子に入った。
勝海舟生誕地の碑 勝海舟生誕地の碑 
JR 両国駅 JR 両国駅 

サッポロビールによる地ビールが呑めることで有名である。そのため、「Beer Station Ryougoku]の文字が駅の右上にある。

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