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清正公(覚林寺/毘沙門天)〜伊皿子交差点〜泉岳寺

【関連サイト】   都営 三田線H1909(目黒〜白金台〜白金高輪)
東京メトロ 南北線H2008(目黒〜白金台〜白金高輪)
港区 ちぃばす高輪ルートH230927(高輪二丁目〜高輪地区総合支所前〜伊皿子交差点)
   

泉岳寺・品川宿と商店街の活気にふれる旅H211010(メリーロード高輪〜泉岳寺〜品川駅)

    歴史点描 江戸風景)赤穂義士

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目黒通り 日吉坂上交差点 目黒通り 日吉坂上交差点 

日吉坂上交差点で右折すると、結婚式場で有名な八芳園がある。右に八芳園の緑の看板がある。
目黒通り 日吉坂 目黒通り 日吉坂 

能役者日吉喜兵衛が付近に住んだためと伝えられるほかに、ひよせ、ひとせ、ひとみなどと書く説もある。

八芳園がある日吉坂上交差点から桜田通りとの合流点である清正公前交差点まで続く坂である。右に坂下にあるシェラトン都ホテル東京が見える。
目黒通り 日吉坂 目黒通り 日吉坂 
目黒通り シェラトン都ホテル東京 目黒通り シェラトン都ホテル東京 
目黒通り 清正公前交差点で右折、桜田通りへ 目黒通り 清正公前交差点で右折、桜田通りへ 

目黒通りは桜田通りに合流し、左折して麻布十番に向かう。右折すると五反田駅で、交差点の右手、桜田通り沿いに清正公(覚林寺)がある。
桜田通り 清正公(覚林寺/毘沙門天) 桜田通り 清正公(覚林寺/毘沙門天) 

寛永8年(1631)、日延上人開山の日蓮宗の寺。加藤清正の位牌や像が祀られ、「白金の清正公さま」として親しまれる。毎年5月4・5日の清正公大祭には、武運の強かった清正公にあやかり「勝負に勝つ」の意味で葉菖蒲の入つた「勝守り」が頒布され賑わう。山手七福神の一つ、毘沙門天を祀る。

清正公は「せいしょうこう」と読む。
桜田通り 清正公(覚林寺/毘沙門天) 清正公堂 桜田通り 清正公(覚林寺/毘沙門天) 清正公堂 

 覚林寺は弘化二年(一八四五)の大火で全焼し、山門は安政三年(一八五六)、清正公堂は慶応元年(一八六五)に再建されたものです。
 清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間ロー間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。

 清正公堂は本殿部分を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されます。また山門は現在の境内において最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の境内の構成を伝えている貴重な建造物です。
桜田通り 清正公(覚林寺/毘沙門天) 桜田通り 清正公(覚林寺/毘沙門天) 
清正公(覚林寺/毘沙門天)前交差点で桜田通りを渡り、天神坂へ 清正公(覚林寺/毘沙門天)前交差点で桜田通りを渡り、天神坂へ 

左には目黒通りが合流する清正公前交差点がある。
天神坂を上る 天神坂を上る 

坂は急だがさして長くはなく、上りきった所が高輪二丁目交差点である。港区のコミュンティバスであるちぃばす高輪ルートはこの坂を上り、伊皿子交差点で左折するが、イベントは右折して泉岳寺に向かう。

 むかし坂の南側に菅原道真の祠(ほこら)があったためにいう。葭原が見えるので葭見(よしみ)坂・吉見坂ともいったという説もあるが北方の坂か。
天神坂 高輪二丁目交差点で左折、二本榎通りへ 天神坂 高輪二丁目交差点で左折、二本榎通りへ 
ちぃばす(高輪ルート) #144 バス停 高輪二丁目 ちぃばす(高輪ルート) #144 バス停 高輪二丁目 

ちぃばす高輪ルートは、このバス停を2回停まる。1回目は伊皿子交差点で左折して高輪地区総合支所に行き、天神坂を上って2回目にこの交差点に停まる。
二本榎通り) 赤穂義士 大石良雄等自刃ノ跡(細川藩 下屋敷) 二本榎通り) 赤穂義士 大石良雄等自刃ノ跡(細川藩 下屋敷) 

都営高輪一丁目アパートの奥にあるが、これが「都営」と思うほどややけばけばしい色彩のアパート群である。
摩滅した「大石良雄等自刃ノ跡」の碑がなければ見落とすし、自刃跡地も一番奥なので分り難い。詳細は別ページにまとめた。
二本榎通り 旧高松宮邸(高輪皇族邸) 二本榎通り 旧高松宮邸(高輪皇族邸) 

伊皿子交差点手前にあり、有栖川宮家を継いだ高松宮家も廃絶となり、現在は無住の高輪皇族邸となっている。
二本榎通り 伊皿子交差点で右折、伊皿子坂へ 二本榎通り 伊皿子交差点で右折、伊皿子坂へ 

ちぃばす高輪ルートは、1回目は左折して魚籃坂を下り、2回目は直進して聖坂に入り田町駅に向かう。
伊皿子坂を下る 伊皿子坂を下る 

明国人伊皿子(いんぺいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりとも「いいさらぶ(意味不明)」の変化ともいう。
伊皿子坂 突き当りを右折、泉岳寺へ 伊皿子坂 突き当りを右折、泉岳寺へ 
泉岳寺 中門 泉岳寺 中門 

徳川家康が慶長17年(1612)に外桜田に創立し、寛永18年(1641)の寛永の大火で焼失し現在地へ移転した。浅野家の菩提寺で、浅野内匠頭の墓所と赤穂義士を弔う四十七士墓所、赤穂義士記念館などがある。毎年12月14日と4月1〜7日に義士祭が行なわれる。

普段の泉岳寺はイベントがあってもさして混んでもいないが、12月14日の義士祭では140mほど東の都営浅草線泉岳寺駅からものすごい人混みで、特に義士墓所では一寸刻みである。
泉岳寺 山門 泉岳寺 山門 

山門の右後ろの建物は、大石内蔵助が自刃した細川藩邸跡がある都営アパートの前に建つ東海大学付属中高校である。伊皿子坂を大分下ってきたが、その高さが良く分る。
泉岳寺 本堂 泉岳寺 本堂 

赤穂藩主・浅野氏の菩提所で、浅野内匠頭の墓所と赤穂浪士が葬られている四十七士墓所、赤穂義士記念館等がある。毎年12月14日と4月17日には義士祭が催される。
泉岳寺 赤穂義士墓所参道 泉岳寺 赤穂義士墓所参道 

昔はこのような参道はなかったが、墓所の前に門があり、入ってすぐ右に浅野内匠頭長矩夫妻の墓、奥正面に主君より立派な大石内蔵助の墓がある。



 
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