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白山通り 学士会館前交差点 小学館
小学館の後ろには集英社がある。 |
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白山通り 小学館前 神田古本まつり |
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白山通り すずらん通り 神田古本まつり
神保町交差点手前のすずらん通りは神田古書店街である。 |
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白山通り すずらん通り 神田古本まつり
すずらん通りの中央は古書まつりの屋台が並び、その両脇の商店街との間を通り、買い物をする。 |
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白山通り 神保町交差点で右折、靖国通りへ |
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靖国通り 神田古本店街 神田古本まつり
神田古書店街
駿河台一帯には明治以降大学が数多く創立され、たくさんの学生や学者が集った。そのため神保町交差点を中心とする靖国通り・白山通り周辺には、約150軒の古書店、新刊書活か集中し、世界に類を見ない書店街を形成している。10月27日(火)〜11月3日(火)は、第50回神田古本まつりが開催。 |
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靖国通り 神田古本店街 神田古本まつり
書泉グランデは三省堂と並び新書を販売する店であるが、その前にも他の古本店が屋台を出している。
40年ほど前の学生時代、新刊では手に入らない専門書を探しによく訪れたが、大学院生時には英文専門書が中心となり、日本橋丸善ばかりとなった。今はアマゾンで手軽に手に入り、隔世の感がする。 |
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三省堂書店手前で靖国通りを渡る
靖国通りはここで右に曲がり、三省堂書店に出る。 |
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錦華通りを渡り、右脇の富士見坂へ
靖国通りを渡り、すぐの錦華通りを渡る。錦華通りは、神田祭の神幸祭では靖国通りから初めて狭い道に入るコースである。 |
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富士見坂を上る
この坂を富士見坂といいます。「新撰東京名所図会」には「駿河台南甲賀町の内、袋町に通づる筋より南へ、猿楽町一丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべきの地にはあらざるも、遠く富士を望むを得べし。富士見坂の名もこれに基しか」とかかれています。富士見坂は千代田区だけでも三ヶ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町二丁目の間にあります。 |
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富士見坂 突き当りを左折、明大通りへ |
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富士見坂 突き当りを左折、明大通りへ |
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明大通り 明治大学 リバティタワー |
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明大通り 明治大学 リバティタワー |
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明大通り 山の上ホテル |
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明大通り 山の上ホテル
山の上ホテルは、池波正太郎、三島由紀夫、山口瞳などの文豪が利用したことで有名。「山」と言うよりは丘で、こじんまりしたホテルであり、明大の校舎に囲まれ、大学の建物のように見える。 |
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明大通り 明治大学 アカデミーコモン |
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明大通り 明治大学 アカデミーコモン
明治大学博物館
明治大学の付属博物館。商品を通した生活文化のあり方を展示する商品部門、法と人権を考える刑事部門、人類の過去と多様性を取り上げた考古部門の3部門からなる。 |
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明大通り お茶の水駅前交差点 |
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明大通り お茶の水駅前交差点 駿河台の由来
高台である「駿河台」は元来、本郷・湯島台と地続きで、その南端に位置し、「神田山」と呼ばれていました。江戸に幕府を開いた徳川家康は、新たな町づくりのため、この神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園、新橋周辺)を埋め立てました。しかし、埋め立てによって、それまで海に流れ込んでいた平川(神田川のもとになった川)の流れがとどこおり、下流で洪水が頻発するようになりました。そこで現在の飯田橋付近から隅田川まで、分流としての水路を確保し、あわせて江戸城の外堀の役目も果たす「神田川」が開削されたのです。こうしてこの界隈は、本郷・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。
さて、家康が駿府で没した後、家康付を解かれ、駿河から帰ってきた旗本(駿河衆)たちが、江戸城に近く富士山が望めるこの地に多く屋敷を構えました。駿河衆が住んでいたことや駿河国の富士山が見えたことなどから、この地は駿河台と呼ばれるようになり、多くの武家屋敷が立ち並ぶ地域となりました。 |
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JR 中央線 御茶ノ水駅 ゴール風景 |
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JR 中央線 御茶ノ水駅 |