万歩計 トップ 散策点描 目次    都会の歴史と文化を訪ねてH211031 目次  竹橋〜神田古書店街〜お茶ノ水 目次  竹橋〜一ツ橋〜学士会館    ページ ラスト 


万歩計



(From H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


神田古書店街〜明大通り〜お茶ノ水

【関連サイト】    


 直前のページに戻ります

写真の一覧表へ 



白山通り 学士会館前交差点 小学館 白山通り 学士会館前交差点 小学館 

小学館の後ろには集英社がある。
白山通り 小学館前 神田古本まつり 白山通り 小学館前 神田古本まつり 
白山通り すずらん通り 神田古本まつり 白山通り すずらん通り 神田古本まつり 

神保町交差点手前のすずらん通りは神田古書店街である。
白山通り すずらん通り 神田古本まつり 白山通り すずらん通り 神田古本まつり 

すずらん通りの中央は古書まつりの屋台が並び、その両脇の商店街との間を通り、買い物をする。
白山通り 神保町交差点で右折、靖国通りへ 白山通り 神保町交差点で右折、靖国通りへ 
靖国通り 神田古本店街 神田古本まつり 靖国通り 神田古本店街 神田古本まつり 

神田古書店街
駿河台一帯には明治以降大学が数多く創立され、たくさんの学生や学者が集った。そのため神保町交差点を中心とする靖国通り・白山通り周辺には、約150軒の古書店、新刊書活か集中し、世界に類を見ない書店街を形成している。10月27日(火)〜11月3日(火)は、第50回神田古本まつりが開催。
靖国通り 神田古本店街 神田古本まつり 靖国通り 神田古本店街 神田古本まつり 

書泉グランデは三省堂と並び新書を販売する店であるが、その前にも他の古本店が屋台を出している。

40年ほど前の学生時代、新刊では手に入らない専門書を探しによく訪れたが、大学院生時には英文専門書が中心となり、日本橋丸善ばかりとなった。今はアマゾンで手軽に手に入り、隔世の感がする。
三省堂書店手前で靖国通りを渡る 三省堂書店手前で靖国通りを渡る 

靖国通りはここで右に曲がり、三省堂書店に出る。
錦華通りを渡り、右脇の富士見坂へ 錦華通りを渡り、右脇の富士見坂へ 

靖国通りを渡り、すぐの錦華通りを渡る。錦華通りは、神田祭の神幸祭では靖国通りから初めて狭い道に入るコースである。
富士見坂を上る 富士見坂を上る 

 この坂を富士見坂といいます。「新撰東京名所図会」には「駿河台南甲賀町の内、袋町に通づる筋より南へ、猿楽町一丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべきの地にはあらざるも、遠く富士を望むを得べし。富士見坂の名もこれに基しか」とかかれています。富士見坂は千代田区だけでも三ヶ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町二丁目の間にあります。
富士見坂 突き当りを左折、明大通りへ 富士見坂 突き当りを左折、明大通りへ 
富士見坂 突き当りを左折、明大通りへ 富士見坂 突き当りを左折、明大通りへ 
明大通り 明治大学 リバティタワー 明大通り 明治大学 リバティタワー 
明大通り 明治大学 リバティタワー 明大通り 明治大学 リバティタワー 
明大通り 山の上ホテル 明大通り 山の上ホテル 
明大通り 山の上ホテル 明大通り 山の上ホテル 

山の上ホテルは、池波正太郎、三島由紀夫、山口瞳などの文豪が利用したことで有名。「山」と言うよりは丘で、こじんまりしたホテルであり、明大の校舎に囲まれ、大学の建物のように見える。
明大通り 明治大学 アカデミーコモン 明大通り 明治大学 アカデミーコモン 
明大通り 明治大学 アカデミーコモン 明大通り 明治大学 アカデミーコモン 

明治大学博物館

明治大学の付属博物館。商品を通した生活文化のあり方を展示する商品部門、法と人権を考える刑事部門、人類の過去と多様性を取り上げた考古部門の3部門からなる。
明大通り お茶の水駅前交差点 明大通り お茶の水駅前交差点 
明大通り お茶の水駅前交差点 駿河台の由来 明大通り お茶の水駅前交差点 駿河台の由来 

 高台である「駿河台」は元来、本郷・湯島台と地続きで、その南端に位置し、「神田山」と呼ばれていました。江戸に幕府を開いた徳川家康は、新たな町づくりのため、この神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園、新橋周辺)を埋め立てました。しかし、埋め立てによって、それまで海に流れ込んでいた平川(神田川のもとになった川)の流れがとどこおり、下流で洪水が頻発するようになりました。そこで現在の飯田橋付近から隅田川まで、分流としての水路を確保し、あわせて江戸城の外堀の役目も果たす「神田川」が開削されたのです。こうしてこの界隈は、本郷・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。
 さて、家康が駿府で没した後、家康付を解かれ、駿河から帰ってきた旗本(駿河衆)たちが、江戸城に近く富士山が望めるこの地に多く屋敷を構えました。駿河衆が住んでいたことや駿河国の富士山が見えたことなどから、この地は駿河台と呼ばれるようになり、多くの武家屋敷が立ち並ぶ地域となりました。
JR 中央線 御茶ノ水駅 ゴール風景 JR 中央線 御茶ノ水駅 ゴール風景 
JR 中央線 御茶ノ水駅 JR 中央線 御茶ノ水駅 



 
万歩計 トップ 散策点描 目次    都会の歴史と文化を訪ねてH211031 目次  竹橋〜神田古書店街〜お茶ノ水 目次  竹橋〜一ツ橋〜学士会館    ページ トップ