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西仲通り 月島川に架かる西仲橋
屋形船があるところが下町らしい。 |
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西仲通り 北東に進む
両脇にマンションが建ち並ぶ。 |
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月島もんじゃ街(西仲通り) 4番街に進む
清澄通りの西側に並行する商店街が約500m続き、もんじゃ屋が軒を連ねる。 |
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月島もんじゃ街(西仲通り) 3番街に進む |
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月島もんじゃ街(西仲通り)を北東に進む
このようなもんじゃ焼き店が並ぶが、商店街により店が多かったり、少なかったりする。流行っているかどうかは歴然としており、休日にはガイドマップを持った観光客で賑わう。 |
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月島もんじゃ街(西仲通り) 2番街に進む |
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月島もんじゃ街(西仲通り) 1番街に進む |
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月島もんじゃ街(西仲通り)終点の佃大橋
佃大橋の下を渡ると普通の民家となるが、下町の雰囲気が漂う佃島の風景となる。 |
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月島もんじゃ街(西仲通り) 佃大橋前の案内 |
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佃大橋の下を進み、左折 |
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佃大橋沿いの道を右折、佃公園へ
佃大橋の途中で南北連絡通路があり、そこで右折する。右には佃公園が見える。 |
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佃掘沿いの佃公園を通り抜ける |
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佃大橋 突き当たりで右折 |
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隅田川沿いの佃島風景 |
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隅田川沿いの佃島風景
佃大橋沿いで、隅田川沿いの一角は、名物の佃煮を作る店がいくつかある。砂糖の入ったしょうゆの強い香りが辺りに漂う。 |
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隅田川沿いの佃島風景 佃島渡船の碑
佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲である。徳川初代将軍家康の時、摂津国佃村(大阪市西淀川区佃町)の漁師を招いて住わせたところという。この島と対岸の佃大橋西詰付近との間を通ったのが佃の渡しである。
明治九年七月には、渡し銭一人五厘の掲示札の下付を願い出ている。大正十五年東京市の運営に移り、昭和二年三月、無賃の曳船渡船となった。この石碑は、この時に建てられたものである。昭和三十年七月には一日七〇往復となったが、同三十九年八月、佃大橋の完成によって廃止された。 |
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隅田川沿いの佃島風景 佃島渡船の碑 |
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隅田川沿いの佃島風景 住吉神社 銅製 大鳥居(一の鳥居) |
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佃島 住吉神社
銅製大鳥居の右手奥にある住吉神社は、何度も来ており、有栖川宮職仁親王書の陶板扁額がある鳥居が遠くに見える。
徳川家康の江戸入府のとき、摂津国佃の漁夫が大阪住吉神社の神職平岡権大夫好次とともに江戸に移住。寛永年間に鐡砲洲向かいの干潟を築島し、故郷の名をとり佃島とすると、現在地に分霊を祀った。海運業、各問屋組合など。海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めている。 |
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佃島 佃堀に架かる住吉小橋を渡る |
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佃公園 石川島灯台
石川島の灯台の下は公衆トイレである。
石川島の灯台は慶応2年(1866年)、石川島人足寄場奉行清水純崎が、隅田河口や品川沖航行の船舶のため 油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台であった。 この完成を最も喜んだのは近在の漁師であった。 |