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清澄庭園・中村学園通り 清澄公園入口
清澄庭園正門は庭園の北西角にあり、道路を隔てて清澄公園の入口がある。公園の向かいの茶色の建物は中村学園である。 |
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清澄庭園・中村学園通り 清澄公園入口
岩崎家は関東大震災の被害の少ない 深川親睦園の東半分を東京市に寄付した。東京市は整備し、昭和7年(1932年)に 清澄庭園として開園した。更に昭和48年に庭園の西の隣接地を買収し、昭和52年に都立公園として清澄公園が開園した。 |
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清澄庭園・中村学園通り 清澄公園入口
清澄公園の歴史について書かれているが、清澄公園には触れていない。 |
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清澄公園
入って直ぐに藤棚があり、満開時にはきれいな花をつけている。 |
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清澄公園 |
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清澄庭園・中村学園通り 清澄公園を出て直進 |
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清澄庭園・中村学園通り 清洲橋手前で清洲橋通りと合流
直ぐ先が清洲橋東詰交差点で、斜め右から来る清洲橋通りと合流する。 |
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清洲橋通り 清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ |
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清洲橋通り 清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ |
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佐賀町河岸通り 平賀源内電気実験の地
源内は享保十三年高松藩小吏の家に生れ和洋の学を勉学し物産館の開設、毛織物の試作、源内焼の製陶、石綿布の創作利用、水準器寒暖計の創作等かずかずの発明工夫をなし神霊矢口渡の戯作者でもある。源内はわが国最初の電気学者にて安永五年エレキテルを完成し、この付近深川清住町現在の清澄一丁目私宅にて電気実験を行い同八年五十一歳で没した。 |
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佐賀町河岸通り 平賀源内電気実験の地
清洲橋東詰交差点から隅田川沿いに少し下流に歩いた読売新聞の建物の南西角にある。
碑銘以外の三面を使って業績を記しているが、読みにくい所がいくつかある。 |
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清洲橋通り 隅田川に架かる清洲橋 |
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清洲橋通り 清洲橋の東詰奥に見える東京スカイツリー |
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清洲橋西詰から隅田川テラス(西岸)に下りる |
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清洲橋通り 清洲橋西詰 国重要文化財 清洲橋の碑
現在架けられている橋の経緯の紹介である。
清洲橋は、関東大震災復興事業によって建設され昭和三年(一九二八)三月に竣工した。 |
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隅田川テラス(西岸) 清洲橋西詰の案内板 |
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隅田川テラス(西岸) 清洲橋西詰の案内板
◆清洲橋
大正14年に起工、工費約300万(当時)を費やして昭和3年3月に完成しました。長さ186.2m、幅25.9m。ドイツのライン河に架かる世界の美橋、ケルン市の吊り橋をモデルとして設計された優美で女性的な橋です。橋名は深川の清澄町と日本橋中洲町を結ぶ橋であることから、その町名の頭字を一字ずつとってこの名が付けられました。 |
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隅田川テラス(西岸) 清洲橋西詰の案内板
◆平賀源内電気実験の地
平賀源内は江戸時代を代表する発明家であり、その名を聞くと「エレキテル」と反射的に頭に浮かぶ方も多いと思います。エレキテル(摩擦発電気)はオランダから日本に伝わったものですが、それを自作し実験を行ったことから、平賀源内の代表的な発明品として後世に知られるようになりました。平賀源内は深川の自宅にて電気実験を行ったことから、現在その跡地には電気実験の地の石碑が建っています。 |
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隅田川テラス(西岸) リバーサイド読売ビル |
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隅田川テラス(西岸)から隅田川大橋西詰へ |
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隅田川テラス(西岸) 隅田川大橋
隅田川大橋は昭和54年に架橋され、高速9号線と一般道が上下に重なった珍しい橋。架橋された箱崎周辺は、古くは大名屋敷の並ぶ隅田川三角州のひとつであったか、現在は高速のインターチェンジと東京エアーターミナル(TCAT)と交遊の要衝か建っている. |
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水天宮通り 首都高9号深川線の高架下を歩く |
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水天宮通り 箱崎ジャンクション
首都高6号向島線から箱崎ジャンクションで首都高9号深川線が分岐する。今は改善されたが以前は車線変更が難しく、渋滞と事故多発地点としても知られていた。 |
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水天宮通り TCAT
TCATの地下がゴールの東京メトロ半蔵門線の水天宮前駅である。
TCATは箱崎ジャンクションに設置された施設で、成田空港が開港してしばらくはここで集合し、出国手続きを取った後、リムジンバスで行くのが普通だった。横浜のYCATなど類似の施設が出来たうえ、JRや京成の特急の便が良くなったこと、新宿など主要駅からリムジンバスが多く出るようになって、けして便利な場所ではないTCATも寂びれていった。 |