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第11回 下町の情緒と人情に触れ、江戸の文化を感じるH211020
スタート 中央通り 日本橋交差点
日本橋〜恵比寿講べったら市〜甘酒横丁〜清洲橋〜清澄通り〜北斎通り〜江戸東京博物館〜両国回向院〜両国橋〜繊維問屋街〜日本橋(総行程 9km)
【撮影記録】
平成21年 10月 20日 晴れ 後 曇り
10:55〜14:20 15,100歩(休憩 15分)(概算 12.1km)
毎年10月19、20日に寶田恵比寿神社で開催される恵比寿講べったら市を撮るため、第11回のコースを選んだ。前回の開催日は14日で、準備の様子を撮っただけだった。
べったら市は、椙森神社前から寶田恵比寿神社まで続き、大盛況である。両国なので大嶽部屋(大鵬道場)、北の湖部屋、間垣部屋も撮影した。 |
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中央通り 日本橋南詰
右手に野村証券本社が見える。 |
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中央通り 日本橋
来週の25日(日)に開催される大江戸活粋(かっき)パレードの幟が中央通りに掲げられている。
大江戸活粋パレードは今年(平成21年)で3回目で、京橋から三越本店まで中央通りで行われる。 |
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中央通り 日本橋北詰
東京市道路元標の後ろに三越新館が見える。
日本橋は1603年に創築され、江戸幕府により五街道の起点として定められました。
現在の日本橋は1911年に架橋されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋で、四隅の親柱の銘盤に刻まれた「日本橋」および「にほんはし」の文字は最後の将軍徳川慶喜公の揮毫によるものです。1972年、日本橋中央の「東京市道路元標」がこの広場に移設・保存されました。 |
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中央通り 三越本店本館 |
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中央通り 中央三井信託銀行角で右折、江戸桜通りへ
三越本館と中央三井信託銀行の間の江戸桜通りを東進する。 |
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中央通り 中央三井信託銀行角で右折、江戸桜通りへ
江戸桜通りに入った右手には刃物の木屋があり、左の工事現場の先には鰹節の「にんべん」本店がある。 |
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江戸桜通り 昭和通りを渡る
高架は首都高1号上野線である。 |
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寶田恵比寿神社
江戸桜通りを歩き、堀留町交差点に出る手前に椙森神社がある。その参道から北に向けてべったら漬けの店が並んでいた。聞けば寶田恵比寿神社関連とのことで、コース変更してべったら市を撮影した。べったら市の詳細は次ページにまとめた。
もとは皇居前にあり、恵比寿神像は慶長11年に徳川家康から拝受したという。1月20日に初恵比寿、10月19、20日に元禄時代から続く恒例行事「べったら市」が開かれる。べったり運がつくと人気が高く、商売繁盛の神として信仰されている。 |
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江戸桜通り 堀留町交差点で右折、人形町通りへ |
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人形町通り 人形町交差点 玄冶店遺構
玄冶店遺構は人形町交差点にあり、お富さんと与三郎の話で有名な「与話情浮名横櫛(よはなさけ うきなのよこぐし)」の舞台となった。
説明文は歩道側にあるが、碑の表面は人形町通りにあり、車に気をつけて見なければならない。 |
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人形町通り 人形町交差点 玄冶店遺構
江戸時代初期、新和泉町(人形町三丁目)のこの辺りは、幕府の医師であった岡本玄冶の拝領屋敷があったことから「玄冶店」と呼ばれていました。
玄冶店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐が脚色し、嘉永六年で(一八五三)に中村座で初演された「与話情浮名横櫛」の「源氏店(玄冶店)の場」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となり、その名が広く世に知られるようになりました。 |
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人形町通り 人形町交差点で金座通りを渡る |
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人形町通りを南下
11月7日(日)にからくり櫓の竣工式が水天宮前交差点角にある和菓子の老舗三原堂の前で行われる、との幟が飾られている。 |
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人形町通り 甘酒横丁交差点で左折、甘酒横丁へ
反対側には親子どんぶりで有名な「玉ひで」がある。 |
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人形町通り 甘酒横丁交差点で左折、甘酒横丁へ
明治の初め頃にこの横丁の入口の南側に尾張屋という甘酒屋があったことから昔は「甘酒屋横丁」と呼ばれていた。当時の横丁は今より南に位置しており、道幅も狭い小路であった。 |
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甘酒横丁を東進
甘酒横丁と言っても特に変わった商店街ではなく、途中で明治座通りとなって、清洲橋通りに出ると、目の前が明治座となる。 |
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甘酒横丁 浜町緑道 弁慶像
江戸時代、人形町には歌舞伎の三座の内、市村座と中村座が上演していた。これにちなんで、緑道整備に合わせ、弁慶像を建てた。 |
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明治座通り(甘酒横丁) 浜町公園前で右折、清洲橋通りへ
明治座は交差点に聳え立つ、といった感じである。 |
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明治座通り(甘酒横丁) 浜町公園前で右折、清洲橋通りへ |