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万歩計



(From H14-10-28)

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清洲橋〜清澄通り〜両国

【関連サイト】   #11 日本橋、清澄白河、両国  江戸の情緒を巡る旅(H18-10-14) 
東京の名園 清澄庭園
都営大江戸線H2102(両国〜門前仲町〜汐留シオサイト)
    歴史点描 有名人の足跡)吉良上野介点描


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清洲橋通り 浜町中ノ橋交差点で新大橋通りを渡る 清洲橋通り 浜町中ノ橋交差点で新大橋通りを渡る 

左は日本橋浜町Fタワーで、トルナーレ日本橋浜町である。左折するとすぐに新大橋があり、右折すると水天宮に向かう。
清洲橋通り 首都高6号向島線下を進む 清洲橋通り 首都高6号向島線下を進む 
清洲橋通り 清洲橋 清洲橋通り 清洲橋 

男性的な永代橋に比較し、女性的な清洲橋といわれる。
清洲橋通り 清洲橋 清洲橋通り 清洲橋 

土木学会選奨土木遺産の碑で、碑文には以下のように書かれている。

「復興は橋より」、これが関東大震災後の復興事業の合言葉でした。帝都を代表する隅田川の入口にあたる第一、第二橋梁は、筋骨隆々とした男性的なイメージ(永代橋)と優美な下垂曲線を描く女性的なイメージ(清洲橋)で演出されました。
清洲橋から見た上流風景 清洲橋から見た上流風景 

向側には小名木川河口の萬年橋が見え、その左には芭蕉庵があり、芭蕉像がある。この一帯は芭蕉の遺跡が多い。
清洲橋から見た上流風景 清洲橋から見た上流風景 

隅田川上流には黄色の新大橋が見える。
清洲橋通り 清洲橋東詰交差点 清洲橋通り 清洲橋東詰交差点 

清洲橋を渡って右折、清洲橋東詰交差点から隅田川沿いに少し下流に歩いた読売新聞の建物脇に平賀源内電気実験の地がある。

平賀源内は享保13年に高松藩士の子として生まれた。様々な実験や、物産開発などに努めた。
清洲橋通り 清澄町二丁目歩道橋前交差点で左折 清洲橋通り 清澄町二丁目歩道橋前交差点で左折 
清洲橋通り 清澄町二丁目歩道橋前交差点で左折 清洲橋通り 清澄町二丁目歩道橋前前交差点で左折 

交差点手前角に、大鵬、北の湖に因む横綱通りの案内板がある。
清洲橋通り 横綱通り 大鵬道場・大嶽部屋 清洲橋通り 横綱通り 大鵬道場・大嶽部屋 

清洲橋通りから入り、横綱通りの最初の角の右側にある。裏から見ると白いビルにしか見えない。
清洲橋通り 横綱通り 北の湖部屋 清洲橋通り 横綱通り 北の湖部屋 

大鵬道場・大嶽部屋の反対側にあり、2階から干されている黒いけいこまわしがなければ普通のマンションにしか見えない。入口には北の湖部屋の門札がある。
清澄町二丁目歩道橋前交差点で左折、清洲橋通りへ 清澄町二丁目歩道橋前交差点で左折、清洲橋通りへ 

そのまま進むと清澄庭園である。

清澄庭園は江戸の豪商紀伊国屋文左衛門の別邸と言われ、関宿の城主久世大和守の下屋敷を経て明治になり、三菱財閥の岩崎彌太郎が深川親睦園として買い取り、その後隅田川から水を引いて大泉水を作ったりした。関東大震災で避難場所としての価値に注目され、岩崎家から東半分を東京市に寄付された。戦後に西半分も清澄公園となった。
清洲橋通り 三野村株式会社ビル 清洲橋通り 三野村株式会社ビル 

清澄町二丁目歩道橋手前にあるビルで、玄関前に江東区から第七回まちなみ景観賞で表彰されたことの碑がある。
清洲橋通り 三野村株式会社ビル 清洲橋通り 三野村株式会社ビル 
清洲橋通り 清澄三丁目交差点で左折、清澄通りへ 清洲橋通り 清澄三丁目交差点で左折、清澄通りへ 
清澄通り 小名木川に架かる高橋 清澄通り 小名木川に架かる高橋 
清澄通り 小名木川に架かる高橋 清澄通り 小名木川に架かる高橋 
清澄通り 高橋北詰 ニ代目中村芝翫宅跡 清澄通り 高橋北詰 ニ代目中村芝翫宅跡 

歌舞伎役者の二代目中村芝翫は、寛政8年(1796年)江戸下谷に生まれ、嘉永5年(1852年)に57歳で没した。文政8年(1825年)にはニ代目中村芝翫を継いだ。天保7年(1836年)には、四代目中村歌右衛門を襲名した。
清澄通り 常磐高橋交差点 たかばし のらくろード 清澄通り 常磐高橋交差点 たかばし のらくろード 

高橋を渡って少し進んだ右手にある商店街である。のらくろは戦前の人気漫画で、サザエさんの長谷川町子の師でもあった田河水泡の家族から寄贈された遺品などを展示している森下文化会館(のらくろ館)がある。
清澄通り 森下駅前交差点で新大橋通りを渡る 清澄通り 森下駅前交差点で新大橋通りを渡る 

この交差点で都営新宿線(新大橋通り)と、都営大江戸線(清澄通り)が交差し、駅は森下駅である。
清澄通り 竪川に架かる二之橋 清澄通り 竪川に架かる二之橋 

高架は首都高7号小松川線である。清澄通りをさらに北上し、二之橋北詰交差点を左折すると、道は分かりにくいが吉良上野介旧邸がある本所松坂町公園に出る。
清澄通り 竪川に架かる二之橋 清澄通り 竪川に架かる二之橋 

二之橋は、二ツ目通りの由来となった。
清澄通り 竪川に架かる二之橋 清澄通り 竪川に架かる二之橋 

 万治二年(一六五九)、竪川が開削されると五つの橋が架けられ、隅田川に近いほうから一之橋から五之橋と名付けられました。その二つ目の橋で、長さ十間(十八メートル)、幅三間(五.四メートル)ほどありました。
 池波正太郎の「鬼平犯科帳」では、二之橋は「二ツ目橋」という名で数多く登場します。鬼平が事件を解決するなかで、弥勒寺門前のお熊婆のいる茶店「笹や」へ行くにも、大川から船で乗付けて軍鶏なべ屋「五鉄」に立寄るにも、この橋は江戸を描く場面に欠かせない場所となっています。
 現在の橋は平成十年(一九九八)に架橋されたものです。
清澄通り 緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ 清澄通り 緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ 



 
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