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JR 横須賀線 横須賀駅
横須賀駅〜ヴェルニー公園〜米海軍横須賀基地〜三笠公園〜記念艦 三笠〜うみかぜ公園〜海辺つり公園〜馬堀緑陰道路公園〜走水水源地〜御所ヶ崎〜観音崎(総行程 10.0km)
【撮影記録】
平成21年 6月 20日 晴れ 時々 曇り
09:25〜12:25 16,200歩(概算 13.0km)
久しぶりにヴェルニー公園、記念艦 三笠を見るために参加した。始めはよく晴れて、係員が水補給を注意していたが、馬堀緑陰道路公園辺りで曇り空となり、ゴール間近から晴れだした。ゴールから観音崎バス停までは5分程度で、灯台に行こうかと考えていたら、たまたま浦賀行きのバスが来た。以前京急本線を歩いた時に来たこともあり、帰ることとした。 |
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JR 横須賀線 横須賀駅
「汽笛一声新橋を」の歌詞で知られる鉄道唱歌に「汽車より逗子をながめつつ/はや横須賀に着きにけリ/見よやドックに集りし/わが軍艦の壮大を」という一節があります。
明治二十二年六月十六日、大船ー横須賀間に開通した横須賀線の終着駅、横須賀駅開業当時の駅頭風景を上手に表現しています。
そのころの横須賀は、現在右手に見える米海軍基地内に、明治十七年に設けられた横須賀鎮守府などの諸施設がある重要な海軍基地となっていました。一方陸軍も、明治十三年から観音崎をはじめとして市内の沿岸各所に着々と砲台を築いていました。しかし、人員や物資の輸送は、横浜ー横須賀間の船便に頼っている実情でした。 |
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JR 横須賀線 横須賀駅
「カレーの街よこすか」
日本のカレーライスは、開国を機にインド風ではなく英国風カレーとして伝えられたとされています。栄養バランスのよいカレーは明治期の海軍の食事に取り入れられ人気メニューとなり現在に引き継がれて来ました。
家庭料理としてのカレーライスは、兵隊さんによって、全国に広められたと言われています。海軍と共に歩んだ街横須賀は、全国にカレーを発信した街であると考えています。そして、明治時代に食べられていたカレーライスを現代に甦らせ、ここ横須賀から全国に向け発信をしています。
横須賀には「海軍カレー」のブランド名で、大人用、子供用のレトルトカレーが売られている。一箱2人前で、800円である。 |
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潮風香る1万メートルプロムナードを歩く横須賀ウォーク 受付風景
高架下を左折すると海上自衛隊基地に向かい、左折するとヴェルニー公園である。 |
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ヴェルニー公園 案内図
ヴェルニー公園は、別ページにまとめた。
「ヴェルニー公園・フランスとのきずな」
幕末、横須賀製鉄所の建設と運営を手がけ.日本の産業近代化に大きく貢献したフランス人フランソワ・レオンス・ヴェルニー。「ヴェルニー公園」は彼の業績をたたえて名づけられました。公園の園路や花壇はフランス様式の庭園を模しています。園内に植えられたおよそ2000本のバラはフランスで育成された品種を中心に、日本、アメリカ、ドイツ香りで来園者を楽しませてくれます。
また、横須賀市はフランスのプレスト市と姉姉都市となっており、ヴェルニー公園はまさに日本とフランスの友好を象徴した公園なのです。 |
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ヴェルニー公園を出て、本町三丁目交差点へ
ヴェルニー公園を出た所が、本町三丁目交差点で、左側にダイエーがある。 |
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国道16号線 本町三丁目交差点
本町三丁目交差点の歩道橋を渡り、国道16号線を東に進む。 |
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国道16号線 本町一丁目交差点
交差点300m手前であるが、左側には米海軍横須賀基地がある。 |
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国道16号線 米海軍横須賀基地
主催者から米海軍横須賀基地の正門付近は撮影禁止との指示が出ている。 |
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国道16号線 米海軍横須賀基地 |
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国道16号線 本町一丁目交差点
右折すると、県道26号として京急横須賀中央駅前を通り、衣笠に向かう。 |
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国道16号線 三笠公園入口交差点で左折、三笠公園通りへ |
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国道16号線 三笠公園入口交差点で左折、三笠公園通りへ
大きなアーチの下をくぐると、正面に米海軍基地の入口があり、その前を道なりに右折する。 |
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三笠公園通り 米海軍基地 |
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三笠公園通り 米海軍基地 |
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三笠公園通り 神奈川歯科大 |
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三笠公園通り
三笠公園通りの説明が書かれたものがないので断定できないが、水をテーマにしているように思える。 |
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三笠公園通り 日本丸のモニュメント
昭和59年9月、大型帆船「日本丸」が横須賀市で誕生しました。このモニュメントは、メインマストを中心に実船の一部を約1/3の縮尺で再現したものです。
これが横浜桜木町駅前に係留され、優雅な姿を誇る日本丸?、と言うのが偽らざる感想である。 |
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三笠公園通り 日本丸のモニュメント |
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三笠公園通り |
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三笠公園通り 「めだかの学校」の碑
昭和二十一年の春、茶木滋親子は小田原市郊外の小川のほとりを歩いていました。
幼い義夫くんが突然声をあげました。
「お父さん、めだかがいるよ」
滋はすぐ川をのぞいてみましたが、めだかは一匹もいませんでした。
「おまえが大声をあげたからびっくりして逃げたんだよ」
すると義夫くんは、
「待ってればくるよ。ここ、めだかの学校だもの」
昭和二十五年の秋、NHKから「春らしい明るい歌」の作詞を頼まれた時、ふとこの時の会話が浮かび、童謡「めだかの学校」は生まれたのです。 |
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三笠公園通り 「めだかの学校」の碑
めだかの学校の作詞者である茶木滋は、横須賀に生まれ育った。 |
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三笠公園 案内図
現在地は靴の形の三笠公園のつま先部分で、記念艦三笠は靴底の灰色部分である。 |
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三笠公園 入口広場
後方に記念艦三笠が見える。記念艦三笠は別ページにまとめた。 |